2012年9月30日日曜日

78年の夏

台風17号接近のニュースのせいか この地区の田んぼは一斉に脱穀作業が始まった。夕方 私は後ろ髪をひかれながら映画館へと向かった。例の『帰らざる日々』を見るために。
30年以上も前に見た映画だからずいぶん印象が変わっていた。キャスティングが豪華だったのにも驚いた。朝丘雪路の飯田弁には感動したはずなのに今回ぜんぜんだった。
 せつなさが何ともいえない青春映画だったが 『八月の濡れた砂』にも共通する荒っぽい感じは 以前は好きだったのに今回少し気になった。時の流れか、私が歳なのか・・・ でもその分インパクトは強いなー。
なにより思ったのは 飯田のパワーの減退だ。私は知らなかったのだが78年に飯田で全面ロケをしたようだ。飯田の夏祭りのようすや当時の高校生たちの感じがとてもエネルギッシュで今は悲し!といわざるを得ない。また今飯田美博館のところにあった長姫高校の旧校舎も出てきて街の変わりように驚かざるを得なかった。映画の後その長姫高校出身の脚本家中岡氏のトークショウで高校が撮影に非協力的であったと冗談交じりに語ったいた。ずいぶん腹が立っていたんだろうな。
私よりも一つ下のこの作者は とても柔和な感じの人で 映画の主人公永島敏行とはイメージがかなり異なっていた。そしてこの原作を書いたころの話はとても繊細で 人の心のありようを大切にする方のようであった。
あの時代を思い出した興奮のひと時であった。

2012年9月29日土曜日

個展の用意

八重洲のT-box画廊のかたの話として『いけばなは 表現の感性がいいね、という評価だけで何を表現しているかの問いが希薄だ』というエッセイを読んだ。生け花については門外漢のわたしだが 今なんとなく絵について考えていることと共通していて気になる言葉だった。確かにみずみずしい感覚の作品に出会った時は感動する。がそれが“点”でなく“線”として作品を見ることは少ない。感覚的作品たちがその底辺でつながっていってその主張が自分のいきかたとかに共鳴したらそれはもう感動以外何者でもない。すなわち感性の表現が瞬間突風ではなくて おおきなうねりの中の一具体例のようなものであってほしいのだ。個展を11月に控えて絵たちの一つ裏側にある『真実』が言えているのか実は踏ん張りどころの私なのだ。

2012年9月17日月曜日

やっと秋 芸術の秋

展覧会に於いて 見て感想が出てこない絵がある。その理由の一つはプロの作家としての覚悟が足りないからだと思うことがある。発表に習作を出されても困る。見る側はその作品の主張を感じようとしているのだから 言いたいことはさて置いてこんなに上手くかけましたよ、なんて言われても困るんだ。そういう意味で絵画教室の発表会的なうちわな展覧会になってしまう展覧会はつまらない。
何をいいたいのかの問いはプロとしての覚悟がいる。一人の人間として生きてきた また生きていく姿勢が見る側の人の究極的な見たいところなのだから。その本質的構造は過酷だが逃げようがない。
私も覚悟があるとは言いがたい甘ちゃんであるが 絵画教室的発表に疑問を持つこともなく活動しお弟子さんを指導している作家さんが多いのは 感心しない。どんなに偉いか知らないがいい大人に指導など出来るわけがないではないか。その辺が日本の文化の中に流れる [先生]と[生徒]の関係で 怪しく感じてしまうところである。生徒側も従順を装い師を敬う光景は悲しいし 大事なこと(生きる姿勢を決めるような)の判断を師に任せるという無責任さはいけない事だ。
多くの人が絵を描き絵に親しんでもらいたいと望むが その入り口辺りに魑魅魍魎が跋扈している。所謂いい生徒ではいい絵はかけないのだ。

2012年9月11日火曜日

帰らざる日々

浪人時代のことである。飯田O校出身の人がこの頃映画を作ったらしい、という噂を聞いた。美術研究所通いもだんだんやさぐれてきたころだったから 自分にはとても遠い世界のようで でもなんかちょっと血が騒ぐ感じがあったのを思い出す。たぶんの同い年の人の活躍だから・・。その映画を見たいと思いつつ数年たってしまったが ある時偶然見ることが出来た。藤田敏八監督の映画であった。『八月の濡れた砂』以来ファンだったので見てみると中身は飯田を舞台にした青春の日々の映画であった。そうか、あの映画だったのか!そして脚本がその人だったのか。母親役の朝丘雪路の飯田弁が地方出身者という訳もわからぬコンプレックスを抱え込んでいた当時の私の体をほっと柔らかくしたものだ。切ない映画で好きになった。
先日その映画と脚本家が飯田に来るという新聞記事を見た。早速行って見ようと決めた。