2010年2月27日土曜日

田中一村再考


画壇って何だろう?

花壇 ・ 雛壇 ・ 仏壇・・・

年老いた絵描きたちが雛壇に座っている文化勲章授与式的イメージで、ふるいな。

田中一村について 思い違いをしていたように感じて もう一度画集を見ている。“ゴーギャンのように南の島にわたり 絵を描いたが認められたのは死後で悲運の画家。”という程度の知識と『アダンの木』というわりと描写的な絵の印象だけだったが、なかなか示唆に富んでいる画家で驚いている。

まず勘違いのいくつか
1)デカタンの画家ではない。(酒は飲まなかった。また行き当たりばったりで奄美に行ったのではなく 千葉の家を売るなどして周到に計画していた。わたしも絹本に描いてみてわかったが 綿密な写生や感情を抑える力がないと絹の上に絵はかけない。油絵とはちがう)
2)描写的な絵もあるが南の自然の不思議さおもしろさが独特な世界を作っている。
3)貧困や孤独を抱えての死であったが決して不幸な死ではなかった。晩年は自分の作品に対する確かな自信が窺え、奄美に行く前の中央画壇に対する憎しみのような感情は超えていた。

絵描きは絵の評価にとても敏感だ。でも評価というものは 今やさまざまだ。昔のように偉い先生たちが決めるものじゃあない。偉い先生たちに評価を任せちゃあ 画壇とやらが復活するだけだ。プチ評論家があちこちでいろいろなことを言えばいい。そしてちょっと聞いていいとこ取りすればいいのだ。

大事なのは 自分の絵に自信を持って描くこと。田中一村が奄美で晩年描いたように。 

2010年2月20日土曜日

Marco Ferreri


フェリーニの映画のはずが 知らない映画監督だった。“最後の晩餐”というタイトルがしめすとうり重たい映画だった。4人の社会的地位もある中年男たちがある屋敷に集まり文字どうり最後の晩餐をくりひろげる物語だった。見終わったら胃もたれがした。

男たちが次々死んでいき 途中で加わった太った女だけが無表情に生き残る・・・


この映画によく似たパゾリーニの“ソドムの市”というのを思い出した。こちらは第二次大戦末期北イタリアを舞台に敗走直前のナチス幹部たちが欲望の限りを尽くす物語だ。こちらの終わり方がややよかったような記憶がある。ナチス幹部たちに犠牲になりかけ最後生き残った少年二人がラジオから流れる音楽に(スローなジャズだったか?)あわせ踊る。そして故郷の村に帰ると言う。

余談だが、私は公開当時 そのころ親しかった女友達とそれを新宿に見に行った。混んでいたので前の上映が終わる少し前に中に入り椅子を確保ようとした。その時 刃物で眼を切るシーンが大写しとなった。私は失神した。・・


その後の仔細はよく覚えてはいない。ただ映画のストーリーを覚えているところを見ると映画は見たとおもう。そしてその女友達とはそれきりだったことは言うまでもない。


2010年2月14日日曜日

現代の創造展


今年も現代の創造展が始まる。この地域の作家(日本画、洋画、彫刻、工芸、書)約百人が一堂に会しての展覧会で 毎年この時期に行われる。第10回目となるといろいろと問題を抱えての展覧会だ。昨年 友人のU氏が出品して新風らしきものが感じられたが今年は参加しなかった。少し残念だった。全体的にマンネリ感がでてしまうのは仕方ないことなのか・・・

多くの人に見てもらいたいものだ。

2010年2月6日土曜日

Federico Fellini







ここに掲げた3枚の写真はイタリアの映画監督フェデリコ フェリーニのデッサンだ。笑っちゃうほどおもしろい。私の好きな映画『アマルコルド』にでてくる登場人物で シーンを鮮明に思い出だしてしまう。彼は 新しい映画のキャラクターたちを必ずスケッチしたそうである。アイデアの化身を逃がさないために。・・・
アマルコルドは A me ricordo (私は覚えている=イタリア語)の彼の故郷の方言だそうだ。彼がすごした 思春期の印象的な故郷での一年をとても豊かに表現していて忘れられない名画の一つだ。
彼は映画の仕事につくころローマで駐留のアメリカ軍の兵士向けに似顔絵描きもしていたようで 絵が達者だ。少し欧風まんがっぽいところが、いかにも若者がアメリカ兵を相手にひともうけしてやろうとした軽妙さを感じる。ユーモアのある絵を漫画っていうのかな。

彼の 深刻になんて絶対にならないこの明るさ。これはラテンの血ゆえなのか? とても魅力だ。

彼の作品で『最後の晩餐』が12日に飯田で上映されるそうだ。見に行かなくては。