2010年12月4日土曜日

多様性の世界


CAF.N展の後思った。一口で『多様性の世界』といってもなかなか理解できないことが多い。いろいろな生き方や考え方をそれぞれ認め 尊重しようというものだ。しかし たとえば北朝鮮を認めるのかとか イスラムの原理主義を認めるのか わたしにはわからない。
では反対に一つの価値観が世界を包んだらどうだろう。便利そうだがとても怖い。たとえばお金、普通に働いて暮らしていたら 突然会社の仕事が減って失業者となる。普通の暮らしを脅かされたのだ。去年の暮れに起こったリーマンショックだ。リスクを取って暮らしていたわけではないのでまったく理不尽な事といえるだろう。お金に重きを置かない価値観で暮らしていたらさして動揺しなかったかもしれないが 暮らしには最低限の金が要る。お金とは物事の価値をデジタルで表示することだ。だから怖い。中国の米作り農家も カリフォルニアの大規模米作りも 中途半端な米作り人の私も同じ土俵で値踏みされる。現実だ。
こうしたグローバル化は巨大なモンスターのようだ。小さな価値観を次々に食い滅ぼしていくような感じがする。かつては近代化という美名で。
やはり多様性の世界を守っていかなければいけないのだ。アートはそれを主張する。
このごろの新聞にはTPPとか 私の会社ではISO取得とか 日常的にモンスターに飲み込まれつつも、
オリジナルの暮らしを創造していかなくてはいけない。

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