2011年4月30日土曜日
2011年4月24日日曜日
南無4人展はもうすぐ
昨年に引き続き今年も 地元のギャラリー南無でもうすぐ展覧会が開かれる。今年は創画会で活躍中の宮島弘道氏が加わって4人の展示会となる。また南無のスタッフ人も充実していろいろとサポートしてくれる。関連して私のwebページも開設できそう。乞うご期待!
さて、南無の場所なのだが・・・
なかなか初めての人には説明がむずかしいのだ。昨年 東京に住む従兄弟が行きたいと言ってくれたので一生懸命説明した。『○○小学校のところを右に、道なりに真っ直ぐ行って、郵便局を左に、そのあとゆるやかな上り坂、大きな桜、急な下り坂、大きな石、鉄塔を左。』
曲がるはずの小学校も道よりずいぶん高いところで見えず、桜も、坂も 鉄塔も 増してや大きな石も、いたるところにあってわからなかった由。しかたなく帰ったと後でメールがあった。
田舎の風景は、ほんとに説明のしようがないものだ。皆さん自力でたどり着いてください。
2011年4月17日日曜日
やっぱり桜だ
2011年4月8日金曜日
テレビ報道
桜が咲いてきて ほっとした思いになっていた。が、どうも福島の原発の状況があやしい。
テレビ報道はずーっと危険ではないから・・と言ったトーンだった。しかし突然低レベル汚染水を海に放出しだしたり、ちらほら30キロメートル以外の地域でも放射線量がふえたり、不安な要素がでてきた。
テレビは言わないが メルトダウンってことなんだろうか?
東電の莫大なスポンサー料によってテレビは番組製作しているようだから あまり情報を信頼しすぎるのも危険なのかも知れないなー。
テレビっ子で育ってきた私としたら何から情報を取り、どう行動すればよいのだろうか。支持待ち人間として生きてきてしまったから これからどう動くべきなのか考えがまとまらない。せめて雨に濡れないように子供に指示するくらいなのか・・・
今頑張っている被災した人たちにとってみれば、わたしの不安なんて きっとたわいもなくて 少し不快を感じさせる悩みなのかもしれない。
しかし原子力がらみは怖いと思う。
いつも桜が咲くと それまでくよくよ悩んでいたことがほんとに軽くなるのに、今年は ちがう・・・
青森の地下深く原子力廃棄物を何万年も埋めておくなんて計画 ちょっと前まで テレビで流していたがとても賛成なんて出来ない。
浜岡原発に もし大きな事故が起これば、風のとうり道のこの伊那谷は死の谷となるのだろうか。・・・考えてもいなかったことだけど 起こりうることで、しかもテレビはそんなことは絶対に言わない。
2011年4月2日土曜日
原発事故
震災から3週間が過ぎた。復興の流れが出来つつあると報道は伝えている。しかし福島原発は一向にいい展開になったとは聞かない。次から次えと難問が立ちはだかり、しかもその内容がよく理解できないため、苛立ちも増すばかりだ。『いったい東電は何をしてるんだ!』と思わず口に出してしまう毎日だ。福島がこんな状況に至ってしまったのはいったいどうしてなんだろうか?
一番大切なこと、たとえば今回で言えば原子力発電の道はホントに正しいのか、とかそういう問題に私たちは今までしっかりと向き合ってきたのだろうか?
そんな議論の場もなければ時間も持ちにくい時代に育ってしまった。 ものすごく大衆的な考えに“そういう難しい問題は頭のいい人たちに任せておけばいいんだ。われわれは、黙って働いていれば・・”と言うものがあったと思う。勤勉な良民的なイメージと言おうか。
そしてその頭のいいという人たちは試験で勝ち上がって官僚や、一流会社員(東電など)になり、われわれを導いてくれる・・・・筈だった。
・・・もう明治時代ではないのだ!テレビで見ていると“頭のいい人たち”はもうスカスカだ。自分のことで精一杯で とてもわれわれを引っ張ってくれるとも思えない。
だから、われわれは一番大事なことについて常に考えていなくてはいけないんだ。原発に頼っていてほんとにいいのか?じゃあ電気は?・・・次々にわからないことばかり・・・でも考えていなくてはいけない。白紙委任状を渡してはいけないんだ。稚拙な結論でも自分の結論を持たなくてはならない。持てば思考停止にはならない。
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