2014年3月31日月曜日

第2回「個の屹立展」

昔 朝日ジャーナルの記者だった美術評論家の赤津侃氏が ギャラリー暁で企画展を開く。そのタイトルは「個の屹立展」 そして私も参加することとなった。
期間は 2014.4.14(Mon)~4.19(Sat)
赤津氏によって呼ばれた20人の作家が展示する。何人かはどこかの展覧会で御一緒させていただいた方だと思う。
個の屹立として赤津氏に選んでいただいたことに感謝する。というのも個のオリジナリティーは良くも悪くも大事にしている一つだからだ。
あと、二三日ほどで今の絵を終わりにして出品作としようと考えている。14日には銀座に出ていくこととしましょう。

2014年3月23日日曜日

箱根

雨の中 箱根彫刻の森美術館に行ってきました。実に30年ぶりくらい。それはイタリアに行く直前だった。一眼レフのカメラを買って試し撮りをしたくて箱根登山鉄道に乗ってきた。そういえば、山いっぱいにアジサイが咲いていた。でも今回はそこかしこに残雪が灰色になっていた。それと今回は家族3人で訪れたことが大きく当時と変わっていた。
彫刻の森は野外ということもありとても開放的でぐじゅぐじゅ悩んでいた当時の私には 救われるような思いがあった。ヘンリームーアや ピカソは今もとても新鮮で 安心した。スーッと素直にこころにはいってくる。
まあ、30年たってもこうして絵に向かっていることに 一片の感慨もあるが さてさて、自信を持っていこうじゃないか。

2014年3月8日土曜日

飯田創造館の若造展

いろいろな展覧会で若返りを模索しているという話はよく聞く。私の関わっている現代の創造展もやっぱり若い人の新鮮な感覚を求めてもいる。しかし中々若い人の発表の場は少なく積極的にアピールしてくる人はいない。飯田創造館はこの状況を危惧してか若者向けの発表の場を3年ほど前から作った。若造展だ。その目的はとても楽しみなのだが、さてさて作品群はどうだろう。
先日上野の都美術館でも見て「ああ、はやりなんだなー」とややげんなり感じているのは≪少女の机の中のようなキラキラ ゴチャゴチャでかわいい作品≫が多いことだ。
感覚的な追及もいっぱい見ると平板な感じで限界を感じる。もう少し構造的な姿勢や高邁さがほしい。
確かに20代や30代に見ごたえのある作品を作れというのは酷なことだろう。自分のことを思い出せばよくわかる。全く作品らしいものは作れなかった。ただただ自信のなさと不安ばかりで、生きることさえままならなかったのだから。
『こう生きたい』という思いと現実のはざまで「いったいどういきたらいいんだ!」と苦しんでばかりいたと思う。
今はその現実があまりに大きく 「こう生きたい」という思いを抱くことが自分を苦しめる元と思い違いをしてしまって そこに焦点を合わせないようにしているのかもしれない。だから何の疑問もなく社会人に成りきってしまおうとするか 家に篭ってゲームしていたかと思えば 突然刃物で殺人をはたらくような形になってしまう。こう生きたいを抱いてもがくことは大事なのだ。優等生にはアートの世界は一番遠いところに在るともいえる。
60歳になって私は敢えて この「こう生きたい」がアートのモチベーションということをいいたい。
20代30代のころは大人の評価を価値あるものと考えがちだが 実はそうではない。価値は自分の中にあるんだ。こう生きたいと思って戦っていくことがアートの(作品の)価値なのだ。

2014年3月5日水曜日

ギャラリー暁Ⅳ展

今週 銀座のギャラリー暁でグループ展に参加している。一昨年画廊るたんで私は個展を開催したのだが たまたまその時期暁もオープンして多くの人が出入りしていた。そしてその中に知り合いがいて参加に誘われたのが第一回暁展であった。その時以来の参加である。
25人の大所帯の展覧会で人選はギャラリーによるもののようだ。その為統一感に欠けるのは否めない。まあ一般的な女性が多い絵画展。と言っては失礼かな。
さて、その前の週にこの画廊で開かれたのが「現代絵画シリウス2014」というグループ展。東京展の主だった男性中年作家を中心の展覧会のようでした。
実際見に行きたかったけど 2週連続の銀座行は無理で話だけの報告になってしまう。
なぜ特筆なのかというと この展覧会のうたい文句に 〈男作家 50代から60代前半の年齢 半固定メンバーで5回まで行う。〉といっている。まあこの時代に どこからかイチャモンが来そうないいっぷりである。しかし実は私も密かに拍手を送りたくなる声明だ。なぜなら最近の展覧会は女性の圧倒的な活躍ぶりが明白だからだ。色もきれいだし 画面の冴えもあるし なにより意欲的だ。それに引き換え男性作家は数も少ないし 面白みがすくない。...
ちょっと!なんとかならないの!ずーっと潜在意識の中で叫んでいた私に気が付いた。
ま~そうは言っても 自分の作品が良くならなければ何ともならない話なのだが、グーンと重低音をきかせた見ごたえのある作品を作っていかなくてはならないと思いを新たにした訳である。
同じ日 ギャラリーKで内海信彦という作家の20歳代の作品展を見た。53年生まれ、74年に慶応法学部を中退、 中村某画家から油彩画の基本を学び伝統画法でヨーロッパの神話的世界をシュールレアリズム風に描いた。(その頃の作品が展示されていた)その後多摩美を卒。当時の何かが唸っているような作品群であった。なぜそのころのものを展示したかったのだろう?なにかとても大事なことを感じていたからあえて今 それを公表しているのか?はたまた愛する自分を堅持したかったのか?
同い年の作家の同時代の青春、・・・熱い思いが何時の間にか萎えていきそうに感じて また一人一歩を踏み出そうとしている。