2014年3月8日土曜日

飯田創造館の若造展

いろいろな展覧会で若返りを模索しているという話はよく聞く。私の関わっている現代の創造展もやっぱり若い人の新鮮な感覚を求めてもいる。しかし中々若い人の発表の場は少なく積極的にアピールしてくる人はいない。飯田創造館はこの状況を危惧してか若者向けの発表の場を3年ほど前から作った。若造展だ。その目的はとても楽しみなのだが、さてさて作品群はどうだろう。
先日上野の都美術館でも見て「ああ、はやりなんだなー」とややげんなり感じているのは≪少女の机の中のようなキラキラ ゴチャゴチャでかわいい作品≫が多いことだ。
感覚的な追及もいっぱい見ると平板な感じで限界を感じる。もう少し構造的な姿勢や高邁さがほしい。
確かに20代や30代に見ごたえのある作品を作れというのは酷なことだろう。自分のことを思い出せばよくわかる。全く作品らしいものは作れなかった。ただただ自信のなさと不安ばかりで、生きることさえままならなかったのだから。
『こう生きたい』という思いと現実のはざまで「いったいどういきたらいいんだ!」と苦しんでばかりいたと思う。
今はその現実があまりに大きく 「こう生きたい」という思いを抱くことが自分を苦しめる元と思い違いをしてしまって そこに焦点を合わせないようにしているのかもしれない。だから何の疑問もなく社会人に成りきってしまおうとするか 家に篭ってゲームしていたかと思えば 突然刃物で殺人をはたらくような形になってしまう。こう生きたいを抱いてもがくことは大事なのだ。優等生にはアートの世界は一番遠いところに在るともいえる。
60歳になって私は敢えて この「こう生きたい」がアートのモチベーションということをいいたい。
20代30代のころは大人の評価を価値あるものと考えがちだが 実はそうではない。価値は自分の中にあるんだ。こう生きたいと思って戦っていくことがアートの(作品の)価値なのだ。

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