2014年6月27日金曜日

中村壁その後

もう8年も前になるのかと感慨深かった。自分が考えている絵は土の素材感がどうしても必要だと考えていた。それが人間にとってリアリティのある絵と思っているからだ。イタリアの学校から帰ってしばらくして 地元を散歩中にこの赤土を見つけた。松の茂った森の中で露出している土が雨上がりのせいもあってとても赤かった。
「この土でやってみよう」と思って以来30年ほど私の絵の素材となっている。
何度か地元での個展で「中村壁の色ですね」と言われたが中村壁とは何なのかわからず時が過ぎていった。いまから思えば もうその時に元左官の勝野氏や現役の山田さんとは個展で知り合いになっていたから不思議だ。
そして8年前 南信州新聞社の村澤氏が≪中村壁とは何か≫研究しようと提案してくれのだ。それから数か月間 休みの度に勝野氏、村澤氏 そして私とで中村壁はどこにあるのかと下伊那じゅうを探し回ったのだ。その間のことは村澤氏著の「中村壁」に詳しい。
さて、今日の南信州新聞に村澤氏が中村壁のその後について久々に書いていた。それが上の記事。
そうか、着々とあの土のファンが増えてきているのか!
幻だった中村壁の復活が果たされようとしているとしたら そんなにうれしいことはない。

2014年6月22日日曜日

バルディス展を見る

バルディスは近いようで不思議な作家だと思う。日本人が当時憧れていた20世紀初頭にパリで生まれ(しかも芸術家の家族に)ほとんどすべての芸術の潮流を身近に感じて育ったのに、それらの主張には無関心のようだった。ポーズした少女の具象画がずーっと変化しない。確かにその演劇的ポーズはややメタフィジカ(形而上的絵画)的ではあるが運動には参加していない。
美術史が傍らでまさしく音を立てて展開しているのに彼は淡々としている。熱く芸術を語るのではなく冷めた感じて暮らしている。確かにヨーロッパは激動の時代だった。
そして50年代になると何か落ち着いた大人の感慨を表現し始めた。たとえばジャコメッティのように。そこに繋がる流れがバルディスにの作品群にはあり、深いところで現代美術を消化しているようだ。だから、ペラペラな作品がなく無理がない。