もう8年も前になるのかと感慨深かった。自分が考えている絵は土の素材感がどうしても必要だと考えていた。それが人間にとってリアリティのある絵と思っているからだ。イタリアの学校から帰ってしばらくして 地元を散歩中にこの赤土を見つけた。松の茂った森の中で露出している土が雨上がりのせいもあってとても赤かった。
「この土でやってみよう」と思って以来30年ほど私の絵の素材となっている。
何度か地元での個展で「中村壁の色ですね」と言われたが中村壁とは何なのかわからず時が過ぎていった。いまから思えば もうその時に元左官の勝野氏や現役の山田さんとは個展で知り合いになっていたから不思議だ。
そして8年前 南信州新聞社の村澤氏が≪中村壁とは何か≫研究しようと提案してくれのだ。それから数か月間 休みの度に勝野氏、村澤氏 そして私とで中村壁はどこにあるのかと下伊那じゅうを探し回ったのだ。その間のことは村澤氏著の「中村壁」に詳しい。
さて、今日の南信州新聞に村澤氏が中村壁のその後について久々に書いていた。それが上の記事。
そうか、着々とあの土のファンが増えてきているのか!
幻だった中村壁の復活が果たされようとしているとしたら そんなにうれしいことはない。
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