仙台に来たのは40年ぶりだと話していて気が付いた。18日はCAF.N仙台展のオープニングセレモニーが開催され久々に参加者たちと歓談した。一昨年以来埼玉近代美術館は耐震工事のため会場を仙台に移しての開催となっていたのだ。なかなか飯田からは遠く参加をためらっていたが、そんなふうにチジコマッテしまってはいけないと奮起して参加を決めた。
いざ行ってみると東京からは2時間であっという間、気が付けば飯田から東京が不便ということであった。
仙台の地には19才の浪人生の秋 美大受験勉強に嫌気がさして予備校後期の授業料を払い込まずその金でやみくもに旅行に来たのだった。それ以来だと思いだしたのだ。(確か後で父にシコタマ怒られた。)
今回の参加者の中の小谷節也さんはとてもユニークな経歴の方で話に吸い込まれるように聞いた。彼は1955年に19才でアメリカにわたり そしてニューヨークで美術教師として長年働いていたそうだ。白髪で白ひげで声がとても前に出る感じ、(よく日系アメリカ人のしゃべる声の感じかな。)とても誠実で 日本人どうしのような内容をなるべく間接的にしゃべろうとするところがないのでこちらも安心してオープンな気持ちで話せるし 聞ける、気持ちがよかった。戦後まもないころ東京でまるで浮浪者のような暮らしをしたこと、おばさんの住むアメリカに渡って教育を受けたこと、美術教師として生徒に慕われたこと 結婚のことなど 2次会の帰り 長い定禅寺通りを歩きながらきいた。「アートは道化なのだ。」という話を(中世のアレキーノ=道化は流れものたちでその地の支配者に帰属せず自由に批判し生きていた。)たぶん英語だったっらスムーズなのに日本語で話してくれた。 心にしみた。
今朝は足が筋肉痛、歩きすぎかな。
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