2016年8月30日火曜日

久々に 主張を考える

原発の問題、沖縄の基地問題、国外では中東の問題や難民問題・・・難しくてそう簡単に意見は言えない。が 漠然とこうあるべきではないかとは考えている。
先日高校時代の同学年の会があった。昨年夏 元高校美術班3人展を開催した折 多くの同学年生が受付やら オープニングパーティーやらで手伝ってくれて大いに盛り上がった。 彼らも同級会とは違った再会に 展覧会をある意味大いに楽しんでくれたようだった。そんな熱がまだ残っていて今年も暑気払いと銘打って二十数人が集まったのだ。卒業以来四十数年話したことも会ったこともない奴らもいた。でも酒が入るとことのほか打ち解けて楽しい時間だった。
さて、前置きが長くなったが そんな会で医者になっている一人がまじめ顔で(元々まじめな奴だが)文頭の諸問題の意見を言った。とても意識の高い雰囲気だった。何人かもそれぞれ意見を言っていた。私たち元美術班はちょっと腰が引けた感じだった。ふざけた話は大声で話すのに・・・
その医者は「こういった大事な問題をアートに表現してもらいたいよ。」といった。
現代美術は本来こういったテーマは扱いうるジャンルのはずだ。なぜやらないんだ?と自問してみた。
初めて油絵具を買ってもらった高校の頃 私は当時のビアフラ問題を絵にした記憶がある。アサヒグラフという雑誌の写真をもとに貧困で死にかけているアフリカの子供の絵を描いた。その問題を当時どのように理解していたかは覚えてもいない。ただ、写真を見て描く自分が真実のうわっ滑りをしているような気持ちになった記憶はある。その後見えるものを描くことのほうが実感を得られ、その方向性は置き去りにしてしまったようだ。
社会問題と自分との距離がリアルな実感を伴った表現にならない。それが きっと自分の今の姿勢なんだと思う。
と言って 先に書いたようにこうあるべきだと思う私の方向は 私の赤土の仕事の中には確かにあるつもりだ。 例えば放射性物質に汚染されない豊かな自然の中で生きる人間こそ 本当の自由な暮らしがあると。

2016年8月23日火曜日

さあ、秋だ!赤土講座再会

長くブログに触れず夏が終わりそうだ。7月の終わりにペルージア時代の友人たちの会が横浜であり 懐かしさにどうもはしゃぎすぎたようで その後一か月夏風邪に悩まされてしまった。いつの間にか自分は暑さに弱くなってしまったようだ。少し初老性鬱が出てるんじゃない?とある友人に言われた です・・・。
テレビでリオ五輪を楽しんでいる間に幸い風邪は抜けて どうやらエネルギーもチャージできつつある。良かった!
今週と来週の土曜日は 昨年からは始めた赤土講座が再会する。ちょっと気持ちを入れねばならないところである。
今年は少し具体的な方向性を提示して作品を作ってもらおうかなと考えている。
昨年は 「赤土に接して その感覚で何でも自由にやってみよう」ということであったので 赤土ってどんな感じ?捏ねてみるとどうなるんだろう?・・というところから 僕は何も言わずにそれぞれに任せていた。
それでみなさんは若干途方に暮れたようだった。僕的にはそこでしっかり立ち止まってもらい そして感じて試行錯誤をしてもらいたかったのだ。結果はどうだったのかよくわからなかったが、単なる泥遊びの次元で次が見えなかったのかもしれない。というのも今年の参加者がちょっと減ってしまったからだ。
どんな形が自分の中で「いいな」と思えるのかは それぞれ違うとは思うが少し僕の方向性を提示して具体的な道筋を着手してもらおうと考えています。それは、土の質感に拘ってもらうことです。では、土の質感で「いいな」と思う状態はどんなのか・・?たとえば、表面がつるつるではなく といってギザギザでなく 柔らかな土色のトーンがでている感じ、そっと手で触れたくなるような感じ。
では、それを表現してみよう・・・
こんなことを考えつつ 講座を準備し始めたこの頃でした。