もうとっくにこの感覚は忘れていた。そんな折 高校時代の美術班2年先輩の展覧会(陶芸家の奥様と二人展)があった。高1の時 私はその先輩の絵を長野県展で見て「あゝいい絵だな」と印象があったので、その後どうされているのか 気になっていた。
複雑な想いが残ったと言っていいのだろうか、彼は(私も同じように歩んだが)芸大浪人を何年も苦しみ その後心機一転教育者として成功をおさめられたのだった。今は陶芸を楽しみながら奥様のアートを応援しているようであった。
--- [過去のことを忘れることがあっても、「今」ある私は過去の積み重ね これからの人生は、「今」という瞬間の積み重ね そして、「今」の生き方はこれからの人生を変える力を持っている]---
このようにチラシには書かれていた。
会場一部に飾られていた十数枚の石膏デッサンは十代後半から二十歳頃に描かれたもので素晴らしいできのものだった。おそらく当時の予備校のポスターになったであろうくらいの作品群だ。・・・正直 私はあの頃の先の見えない 寄る辺のない芸大受験生の暮らしを思い出さずにはいられなかった。忘れていた疼きだった。
高校のころ見た才能は 並々ならぬ努力を経てこれらのデッサンになっていたのであろう。・・・
ただ 私はあのころ考えていた。「このようなデッサンの勉強が自分のアートの道にどう繋がっていくのだろうか」と。そして 私をしてイタリアに行かせた。デッサンの達人の次はどうなるのか?その頃の芸大にどうみても答えはなかったのだ。
彼は達人となったが、運も悪かった。病気で受験生を続けることもできず、絵描きの道を 一先ず断念した。(先輩はその後その深い体験を糧に 素晴らしい教育者となられたことには 敬意を示さずにはいられないし、これからその道に再び向かうかもしれない。)
あのころ、たしか3000人の受験生がいて 合格は40人だったかな。運の悪い人も出てきてもおかしくない・・・
あの時 俺たちは、 ほんとは権威主義からもっともっと自由になって、美術をもっと広く捉えているべきだった。そうすれば若い感性はアートをもっと人間や社会に結び付け考えることができ いい作家がもっとたくさん誕生しただろう。修行を経なければたどり着けない道だけがアートじゃないと思うし 優しさは暮らしの些細な中にもあるはずだ。一般の人ももっと美術が生活の中に入って 今の不寛容な社会を変えたかもしれない。そう出来得なかったのだ。
あの45年前に見た優しい感じの絵が 復活すると信じる。
0 件のコメント:
コメントを投稿