絵画・平面の未来展に出品する作品をここにアップして その制作の内側を文章にしてみました。自分の制作のおもいがどの程度 見る側の人に伝えることができるかを文の力を借りてみました。
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主張のわからない絵なのか?
2020年1月 林正彦
~ [ I scratched it !] によせて~
あるところまで描いていくと その先が分からなくなる。
絵は部分的に見るところがいっぱいあるので そこを発展させていくことが時として絵の主題から離れていくことがある。
もちろんそんなこと一向に気にせずに描きこんでいく最近の手法もあるが わたしの今進める絵はそうではない。一つの方向性は必要だ。
オールオーバー的な広がりは求めているが、画面の緊張感はなくてはならない。 一点に中央集中するわけではなく 四角い画面が 緊張を保って縦に横に広がっていってほしいのだ。
さて、ここまで書いて気付くのは 決して私の絵が主張がないわけではないようだ。なかなか一文で言えないのは当然だが “モワーッとした満たされない 分析できないような感じ”を平面に留めたいと思い、 絵をスタートしている。
それを 具体的に「壁を引っ掻いた傷」 として 今回 表現してみた。
まずその発想については、、、是か非か 最大の問題だが、今となっては展覧会で問うこととしよう!
最終段階の今 私は その問いをもう一度逆から省みたとき 自分の加筆の方向がわかるだろうか?
リアルに壁の傷を描写しては 間違ったメッセージになるから 当然違うとは思っている。
日本画家はスケッチの重要さを語るが、(下品な感じになるのか)描写を最終形にはしない。作品化の中で主張にあう取捨選択をするのだ。 方向性は 地べたから上の方(抽象的な世界)へ目指すのである。
私も似た感じであるが 今回壁の質感と引っ掻き傷の様相はある程度必要だと考えている。ただ、そのある程度がどんなものか? 自分の絵であるか否かに関わってくる問いでもあり考えところだ。
タイトルは 「I scratched it!」だが 壁の傷は私が引っ掻いた傷ではないと 今 感じている。その壁ができた頃か その壁がたどった時の中でできた傷かはわからないけれど 傷がなにかを留めていて その何かが私の存在というものに共鳴感を呼び起こすのだ。では傷は私なのか? ・・・わからない。フワーッと消えてしまうような自分を 確かな傷のように 存在させたいのかもしれない。または自分のなかのいくつかの痛みを確かな自分の存在として感じたいのかもしれない。
言葉によって進行形のこの絵を 解析してみたが ここから先は 筆と同じに迷い道になった。
想いと画面が しっくりと重なってくれていればいいのだが 疑問はのこったままだ。
見る方々に 意見をゆだねよう・・・
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