1975年に画家中村正義を中心に東京展が発足し あの日展と隣りあわせでこの時期開催された。それは反権威、自由出品、無審査というものでとても理想に満ちたものだった。が 現実には作家により 整理された展示室だったり3段から5段掛け展示室だったりと不平等部分をさらけ出した。第二回以降は執行部(東京市民会議)の内部分裂、中村の死などで日本の文化の刷新のイメージはトーンダウンしてしまった。反日展反権威の意識は当時浪人で東京展さえ知らない私にもなんとなく伝わっていた。今でも団体展に気が向かないのはそのあたりから来ていると思う。
このごろの民主党の主張を聞いていると、美術の世界もまた、明治以来の中央集権で、優等生たちが美術を啓蒙しリードしようとしていて、それは官僚による政治に似ていると感じてしまう。それが中村の言う日展なのかもしれない。アートはそれぞれの人たちの生きると言うことと同次元のもので、優等生に教えてもらうもんではないだろう。うまく描けていて、うつくしい、でもそれがどうしたの?と思うような絵ばかりの展覧会に行く気にはなれないよ、と東京から遠く離れた田舎でものおもう。
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