2010年1月31日日曜日

頂相 その後


今年の仕事始め、思ったよりてこずってしまったが 来週お寺様に持って行くことにした。

近代ヨーロッパの偉大なる発展文化に反旗を!とか意気込んで筆をとった今年のスタートだったが、(笑い)竜頭蛇尾。顔を似せようとした思いが志を低くしてしまったか・・・言い訳はやめよう。

 今度は赤土と麻布で もっと自由にやろう。

2010年1月26日火曜日

美しい景色は悲しい


過日 親戚の葬式が長野県南部の泰阜村というところであった。子供のころ祖父に連れられて行ったことがある程度なのでとても懐かしい風景だった。

ここ十数年で道の事情がよくなり我が家からは一時間余で行ける。祖父と行ったころは45年ほど前なので単線の飯田線で田本駅まで行き そこから細い山道を登ってその家に行ったのだ。道は急な坂が続いて ふり向けばはるか眼下に天竜川が流れているという 子供には少し怖い景色だった。

その家のおじさんが闘病の末なくなったのだ。葬式の朝 朝霧が天竜川の上に立ち込めてとても幻想的だった。(写真)

こんな素晴らしい景観の中でなぜわれわれは暮らしていけないんだろう?山間地の農業はとても難しく  ましてや勤め先もない。現金収入がないと現代はとても暮らしてはいけない。当然従兄弟たち家族は飯田の近くに住んでいて この家には住んでいない。過疎の村は新しい道が開いても 年寄りの村のままで 過疎に歯止めがかからない。・・・
精進落しのとき 白髪の知らないおばあさんの隣となり 少し話した。葬式のときの孫のお別れの言葉が印象的だったことを私が言うと そのおばあさんは この髭面の男に 『あなたのお祖母さんのお葬式のときの孫のお別れの言葉もかわいくて泣けましたよ』と言った。・・・頭が混乱するくらい昔のことだ!そういえば45ほど前に祖母の葬式があって私はお別れの言葉を言ったのだ。

2010年1月11日月曜日

デッサン その2


明治のころの絵で 西洋的空間解釈で源平合戦の一シーンを描いた絵がある。なんとも奇妙で見るに耐えない。西洋でもバロック以降の 宗教画やギリシャ神話の絵も私にはつまらない。現実の空間に神々が描かれてもただの人物にしか見えないのだ。どんなに光が当たっていてもこうごうしさはうわっすべりしているように感じてしまう。よっぽどジヨットのフレスコ画のほうがありがたさがあると思う。
近代の理性主義は、物理的空間の中の存在というものに真理があると考え、遠近法を生んだ。そして卑近なところでは私たちの学んだデッサン法になり、ものの見方を美術を学ぶものに教えた。
しかし 日本の幽玄のような美意識は西洋的デッサン法では表現できない。いや幽玄だけではない。理性的な空間意識では なんかココロ的なものに近づけないのだ。そのあたりに気づき始めたのは ゴッホやゴーギャンで、日本画の平面的な表現の中に 理論の帰結してしまった西洋画の突破口を見いたしたかったのかもしれない。そしてそれがコンテンポラリーの始まりなのだ。

2010年1月7日木曜日

デッサン


日本画と洋画というくくりがある。今 私は頂相に挑戦中であるが、学んできたデッサン法でお坊さんの絵を描こうとするとどうも違和感がある。日本画と洋画という価値観の相違なのか、不思議でならない。たとえば有名なモナリザ トスカーナの風景(たしか?)をバックにした空間の中に美しい女性が存在している。一方源頼朝像(最近は頼朝ではない事がわかったらしいが)はたぶん室内だろうけど空間的な存在感はあまり感じられない。というより物理的空間を感じさせない。・・・

ルネッサンス以降20世紀までの西洋美術は物理的空間意識を徹底している。かならず三次元の中にモノがあるのだ。それが近代という文化の特徴だろう。

当然だが日本も明治以降その圧倒的威力の前に呑まれていった。私たちが絵を学び始めるとき必ずといっていいほどデッサンを学ぶ。日本画や洋画というくくりはあるが、モノがどう存在かを理解するために。そして意識は物理空間の中での存在を学ぶ。

さて 源頼朝像に戻ると この平面的な表現はなんだろう?見える次元の現象のようなものを排した表現で、日常感はない。中世美術といってしまえばそれまでだが、なんか不思議な世界だと思う。

日本画と洋画とを分けなくてはならなかった明治以降の日本の文化、そして自分の立ち位置を改めて考えてしまう。

2010年1月2日土曜日

初仕事


2010年が明けた。まずは去年の懸案だったチンソウに再挑戦である。チンソウとは頂相と書いて その意味はお坊さんの肖像画のことである。去年 我が家の菩提寺のK寺が私になんとその頂相をたのんだのだ!・・・私は受けてしまった。(お寺様の勇気に深く感謝しながら、自らの無謀さに呆れた)


掲げた写真は昨年のものだが 何も知らない私は賛のスペースをほとんどとらなかった。そして再挑戦にいたったのだ。


絹本に描く日本画は なんとも私の普段の精神構造とは対極のような精神の緊張を強いられる。書道のような一発勝負なのだ。新しい年明けとともに それがなぜかまたやってみようという気になったのだ。どうなることやら・・