2010年1月7日木曜日

デッサン


日本画と洋画というくくりがある。今 私は頂相に挑戦中であるが、学んできたデッサン法でお坊さんの絵を描こうとするとどうも違和感がある。日本画と洋画という価値観の相違なのか、不思議でならない。たとえば有名なモナリザ トスカーナの風景(たしか?)をバックにした空間の中に美しい女性が存在している。一方源頼朝像(最近は頼朝ではない事がわかったらしいが)はたぶん室内だろうけど空間的な存在感はあまり感じられない。というより物理的空間を感じさせない。・・・

ルネッサンス以降20世紀までの西洋美術は物理的空間意識を徹底している。かならず三次元の中にモノがあるのだ。それが近代という文化の特徴だろう。

当然だが日本も明治以降その圧倒的威力の前に呑まれていった。私たちが絵を学び始めるとき必ずといっていいほどデッサンを学ぶ。日本画や洋画というくくりはあるが、モノがどう存在かを理解するために。そして意識は物理空間の中での存在を学ぶ。

さて 源頼朝像に戻ると この平面的な表現はなんだろう?見える次元の現象のようなものを排した表現で、日常感はない。中世美術といってしまえばそれまでだが、なんか不思議な世界だと思う。

日本画と洋画とを分けなくてはならなかった明治以降の日本の文化、そして自分の立ち位置を改めて考えてしまう。

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