この間 大きな回顧展的な展覧会に行った。外国に長く住んで地元に溶け込んで制作してこられたらしくとても落ち着いた生活態度を感じさせる作品群であった。実力もとてもある作家で若いころからいい作品が並んでいた。ゴーギャンふうの油絵たち、版画。そして、戦後の現代美術的作品。今は現地の文化に融合した独自の境地。それに彼を慕う地元の若い作家たちの作品。いい展覧会と思った。
しかしへそ曲がりの私は昨日あたりから、今少しの物足りなさを感じていたのに気が付いた。・・
なんだろう?作家の生きる姿勢、上手さ、美しさ、とても、まねのできないエレルギー。恐れ入ることばかりなのに・・・
アートは自分の生き方の表現とすれば、元の生き方の部分で見る側と全く次元が異なればその表現によほど惹かれない限り語りかけてくる言葉は外国語だ。
例えば バスキアを昔見たとき何かを感じた。若冲もそうだった。どちらも作家の生き方は全く知らなかったのに強烈なメッセージがあった。(その後どんな人だか調べたのだが)
天才と言ってしまえばそれまでだが・・・絵の力はたとえ外国語のようにチンプンカンプンでも一番重要な人間に生きることに関係する何かに触れていれば一気にインスピレーションが波動する。
そこを考えると彼の展覧会は私に強く刺さることはなかったということか。
ああアートは怖い。
この言葉が私にも向いているんだから。
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