2015年8月31日月曜日

jazz美山晃大コンサート

 
展覧会が終わりいつもの生活に戻る前にジャズコンサートある。今回の三人展は不義理の続いた高校同年生の多くに再開した。気詰まりな感じは最初だけでその後は親しく話せるようになったのもうれしいことだった。さて、その中の美山君もその一人で この日のコンサートに私を呼んでくれた。それも絵をステージに展示してくれるというものだった。彼は昔からジャズピアノの名手で文化祭のヒローだったなー。
かねがね抽象画はクラシックやジャズにとても相性がいいと思っていたのでこのチャンスはとてもうれしかった。取敢えず簡単に展示できる作品を持っていったのだが・・。
写真は展示してコンサートのリハーサルを見ているときのもの。果たして彼らの空気にどう調和してくれるのかこの時の私は不安でいっぱいだった。
夜の7時を過ぎたころ コンサートは始まりすぐに熱気に包まれた。盛況そのもの、70人を超える人たちで立ち見客もいるほどだ。
休憩に涼を求め外に出ると、ステージの絵が素敵だと言ってくれる人がいた。「あー よかった・・!」やっぱり音楽との相性は悪くないんだ。同期生美山晃大氏のピアノの素晴らしさに感動しながらも 音楽とのコラボの可能性に喜びを抑えられなかった。
そして もう一つ付け加えれば地方も文化の蓄積の時代に入ったんだと感じ うれしい夜だった。

後日美山氏から送られてきた写真は ひょっとして かっこいいじゃん!

2015年8月28日金曜日

3人展終わる

高校の同期生がこの展覧会をまるで45年ぶりの文化祭のように思って応援してくれて 初日から人が絶えなかった。在学中に話したこともないような人にも親しく楽しく盛り上げてもらった。オープニングパーティーではミニコンサートのような演奏もあり懐かしさが噴き出した感じであった。
私としては 陶芸の展覧会と同会場でやるのも初めてだったので、来場者の「かわいいー」とか「素敵-」とか言う反応の強さにほんとうに驚いた。もちろん樽沢君の作品の良さもあるのだけれども実用性のあるものは実感がが強いんだな。・・・その点絵の良さとは何だろう。単なる部屋のアクセサリではない何か特別なメッセージがそこには必要だと思う。
私はその点がちょっとかもしれないが伝わった気がしてこの展覧会を喜んでいる。
それから伊那谷の風景をじっくりと描いた手塚君にも目を見張った。いつの間にあんなに描いたんだろう、今どきの教師は拘束時間が長いのに。相変わらずオーソドックスな姿勢だ。私の知っている彼の内面はさしてオーソドックスとは思えないのに・・・
今回とてもうれしい話の一つが、同級生の中に中村壁の家があったことだ。私の絵の話を聞いてひょっとしてうちの壁も中村壁かもといって見せてくれたのだ。飯田の大火(戦後まもなく)の後建てたらしいその家は柔らかい優しい赤い内壁で お父さんの位牌らしいそのうしろには高村光太郎の軸がかかっていた。東京に住むその友人は時々来て部屋の空気を入れ替えるのだそうだ。夏の終わりのしつこい暑さも家の中は涼しい風が流れていた。帰ってきたらまた連絡しようと言って別れた。


2015年8月19日水曜日

明日からいよいよ3人展

暑さに負けてダラダラと過ごす夏も 百日紅が咲くといよいよ緊張感が漂い始める。展覧会の季節の始まりだ。
早速明日からは 高校時代の美術班3人組の展覧会が始まる。この展覧会はなぜか心がざわつく思いを消せない。なぜか?・・・18歳の我々は『芸術家』を目指さし石膏室にした。そして、芸大受験、浪人生活、・・・その辺りから少しづつ方向性が異なっていき、芸大生を経て、陶芸家となった樽沢。プロの技と迫力を感じさせれくれるに違いない。
信州大の教育学部を出て、教師の道を歩んだ手塚。落ち着いた日々の暮らしの目線からとても美しい絵を見せてくれるだろう。
私といえば なんとか美術に食らいついていこうとイタリアに学び、その後工場勤めをしながら土の絵を描き続けた。現代美術のジャンルと言っていいのかその道はなかなか食っていくのに険しくて 中途半端そのものだ。
40余年を経て一同にそれぞれの作品を並べるということは、取りも直さずそれぞれの歩んだ道を公に発表しあうということなのだ。
そして、終着点ではなく、至らないところを感じあい、自分の道を進み続けなくてはならないのだ。・・・それはどうしようもないことだ。


「そんなことはわかりきっているよ!」と二人に叱られそうだから、そっと自分で決意して 鏡を見た今朝だった。