佐倉は長野県に比べ本当に温かい。16年前の彼のお葬式に来た時もそう感じたのだが・・・そう赤い梅も咲いていた気がする。
林泰司君はイタリア、ペルージア時代からの飲み友達でもあり 深い美術仲間だった。私たちはイタリアの夢のような暮らしを終えてのち それなりに日本社会へのリハビリに苦労していた。よく酒に憂さをぶつけていたが 彼はそれが高じて体を壊してしまった。
ある年の正月が過ぎてしばらくして 訃報が届いた。・・・それはショックだった。戦友の死と言うべきかも知れない。
長野県の飯田とはなかなかの遠距離なので そう何度も墓参りに行けなくて 気になっていた。
ところが奇遇なことに 娘が近くの大学に通うことになったので 去年今年と続けてお参りに行くことができた。
あんなにもがいていた時代も 時がたてば それこそ それなりに形になっていくのに・・・そう思うと彼の死は いまだに残念だ。
この私とて (絵のほうでは全く先が見えないが)外から見れば一端の父親となっているのだから・・・
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