2012年7月28日土曜日

ビザンチンの美術(ロマネスク)

このごろローマ史の本を読んでいてますます惹かれるのが東ローマ帝国のころの美術だ。それも当時としては片田舎の教会の壁画がなんとも優しく 今の世知辛い時代に対しその世界観が魅力的だとおもうのだ。中学生のいじめとか 放射性廃棄物の問題とか もっと卑近なところではものづくりを謳いあげる中小企業の欺瞞さとか(私の働く環境だけではないはず) それに連日の猛暑・・先が暗く うんざりである。
それにひきかえこのキリストは厳しくもあるがなんとおおらかだろうか。あの時代ゲルマン民族大移動で西ローマは滅びながらその裏ではキリスト教が浸透して行ったのだ。ひとびとを救っていった力がここにあるんだろうか?この絵はアーチスト個人の魅力では全くなくその時代の大きな救いの価値観のようなものが私たちをひきつけるのではないだろうか。
どこかの新聞の写真だったとおもうが 調べて実物を見に行きたいな、とちょっとした希望を持つ今日この頃。

2012年7月7日土曜日

arte povera

秋に銀座の画廊るたんで個展を計画中なのだがそのためのパンフレットの原稿がブルガリアから届いた。レッセドラ画廊のギオルギ氏からのものだ。彼が数年前の来日の折 治部坂のミュー自然館で私の個展を見て感動した事を綴ってくれた。1960年代後半にイタリアで提唱され一つのムーブメントとなったArte Poveraの流れとして私の絵を捉えてくれたのだ。 強烈な色彩の絵の具を使って作り上げようとする表現に不自然さや違和感があったわたしには土を使って絵を描くことはさしてアヴァンギャルドなことではなく 自然な成り行きであった。そのあたりの展開はイタリアのアカデミア時代のことであったので自然とアルテポーヴェラの考え方が体に染み込んでいったのかもしれない。事実特別講師としてミケランジェロピストレット、エンリコカステリーニ、ルチャーノファーブロらが来ていたことを思い出す。また友人ヴィートとの二人展で刈ったばかりの草をキャンバスに詰め込んだ彼の作品がわたしにとって大きなショックだったことは以前このブログに書いた。
アルテポーヴェラは日本ではミニマムアートとしての捉え方の方が近いかもしれない。その考えは禅にも通じるところがあるとわたしは考えている。たとえば 茶人が 客を接待するため粗末な小屋に田の泥を塗って壁とし 茶を点てたという。そこにはものに拘らない本質的な一期一会があった。
そんな今では少しロマンチックな考えが私を捉えていて 赤土に入れ込んでいたのだ。ここらあたりの考えが全く会ったこともない異国の紳士に 私の絵を通じて伝わったということは しかも治部坂という日本の奥山の中で 奇跡としか言いようがない!アートは通じるのだ。
昨年暮れブルガリアを訪れ初めて会ったギオルギ氏は旧知の友のようだった。

2012年7月1日日曜日

犬塚邸

飯田市の歴史研が中心になって保存と利用に取り組んでいるそうで 先日築200年の町家『犬塚邸』の見学に誘われた。展覧会の空間にどうだろうというのである。
おもしろい空間ではあるが、いったいどんなことが出来るんだろう。これを相当きれいに磨きこんで現代感覚でリホームすれば 洒落た住空間になるかもしれない。手間も金もかなり要るだろう。
それを中途半端な掃除と思いつきの展覧会では人は来てくれないと思う。 やっぱり人をびっくりさせる空間が作り出せなくては・・・明るさ 昔の人の空間の仕切り方のおもしろさ 手の入った感じ(埃っぽい空き家な感じがないこと)はやっぱり必要最低条件ではないだろうか。 ( むー金がかかってしまうな。)ーーここまで書いて改めてエネルギーについて考え込んでしまった。この家に住んでいた商家はほんのちょっとの電球が明るさの源だったかなー。壁の煤の感じを見ると暖はかまどかいろりだったかもしれない。現代の生活のダイナミズムから考えるとつつましい限りである。あれだけ反対の気運が盛り上がった原発だがあの大飯原発が再始動したようだ。もっと明るくと言いながら足元ではとんでもないものに頼らざるをえないなんて、また無口になってしまう。