2014年7月29日火曜日

林正彦展開催中

東京銀座6丁目のギャルリー志門にて 個展をついにオープンいたしました。
愛車セレナに作品を積み込み朝も暗いうちから ほとんど行商のように出かけた昨日でしたが 昼頃には何とか飾り付けが終わりました。
そして夕方のオープニングにはとても多くの方々に来ていただき盛大に盛り上がることができました。なんとワイン14本も空いたそうです。今日画廊オーナーから聞いてびっくり。
改めて、企画者の評論家赤津氏に感謝したいと思います。
ご出席の新耀展、 CAFの方々、南信州の村澤さん、富山の時のアーチストの方々 そのた多くの皆さん 本当にありがとうございました。最後に志門のオーナーありがとうございました。今やっている絵の方向性に自信を強く感じました。
ギャルリー志門;銀座6-13-7新保ビル3F
7月28日月から8月2日土までです。 ぜひお出かけいただきご高覧たまわりたいしだいです。

2014年7月26日土曜日

心の花美術館

この頃は地方にいい美術館があって その突然の出会いがなんともうれしい。先日松本に出かけた折時間が空いたので上田まで出かけてみた。久しぶりに夢の庭画廊を訪ねてみたかったのだ。
ひとしきりオーナーの小澤楽邦氏と話したのち勧められて市内の心の花美術館に行った。
上田駅の近くのこじんまりした建物の中に入って驚いた。ジャスパージョーンズ マンレイ ステラ カレルアペル 池田満寿夫 オノサト 荒川修作 などなど・・・。まるで戦後美術の教科書のような作品たちに出会えたのだ。作品の大きさは大きいものでも35x40cm ほどのものだがそのクオリティがただものではない!こんなふうにコレクションできるのはよほど趣味がよくてお金持ちの人に違いないと想像してみたが お会いしてみると至極庶民的な中年女性だった。(ピンヒールに黒のスーツの痩せたマダムを想像していたのは事実だ。ところが事務所からで出てきた方は 同時に在宅ヘルパーもしているというエプロン姿のおばちゃんだった。そしてイメージに誤解が生じないため付け加えておくが 美人さんであった。)
この女性が若いころから 少しづつお金をためてコレクションしてきたのだそうだ。こんな素晴らしい美術館はそうはないと思う。彼女のセンスの良さ 生き方がこの暖かで爽やかな美術館を作っているのだと感じた。行政がローカルマスターのために作る箱物美術館とは全く違う。今の美術を知ることができる尊い美術館だ。多くの人が行けばいいのにな。
夕立前の息苦しい午後だったのにとてもクールな時間をすごせた。

2014年7月20日日曜日

タピエス ブッリ そして・・

私の好きな作家は この二人だ。イタリアのペールージア近くの町出身のブッリはイタリア時代ぜひ訪ねて 会いたいと願ったほどの画家だったが、その時代にはもう完全な有名人で絶対に人には会わない作家となっていた。タピエスはやはり同じころパリを旅行した時にポンピドウセンターで展覧会をやっていて大作をいっぱい見た。感動のひと時であった。私の人生の中でもきっと最大級の出会いであったと思う。
それから やはり好きなのはドイツのキーファー、日本の宮崎進。だが、この二人を知ったのは実はこの頃なのだ。キーファーの名前も記憶してなかったが10年くらい前軽井沢のセゾン美術館で見ていて、去年ギャラリー風蘭の個展の来場者に『キーファー お好きですか?』と聞かれた。『誰ですか』と問うとスマホで画像を検索してくれた。そうか、10年も前軽井沢でいい作品だと思っていたのはこの作家だったのか。機会があればもっと見てみたいと思っていたら先日新聞に展覧会の紹介があった。北海道の美術館、遠い!
宮崎進さん、 この方の名前は東京で個展をするたびに『宮崎進に似ている』と言われ ちょっと複雑な思いだった。二番煎じ的に言われてしまうのだが実は全くその作家を知らなかった。あまり調べたくもなかったが、きっと今度の個展でも言われそうだからネット検索をしてみた。
これも驚きました。なんといい作家ではないですか。しかも先月まで葉山(神奈川)にて大個展をやっていた!ドンゴロスを使って迫力のある作品をいっぱい作っている。好きになってしまった。ただ、自分との違いは内容だ。彼のテーマはシベリア。平和な時代の私の作品とは全く別物だと思う。
ただ共通するものは 具象性からくる嘘を否定して 素材の持つうわべではない素の存在感を借りて もっと人間の深いところの何かを表そうとしているところではないだろうか。それは決して二番煎じではなく 平和な時代だからこそ私は煮詰めたいのだ。

2014年7月10日木曜日

合成写真考

今度の個展に出品予定の作品を見ながら考えながら 茶室のイメージをひろげてみた。 

うーん、一般の茶道の道の方にはいささか違和感があるかな。
心にうったえかける空間って 日常にはあまりない気がする。日常生活の中で自分と向き合ったり 落ち着いて一息ついたりは とても大事だとは思うが 気が付くとそんな時間はなかなか取れないし、もうあたかも無駄な時間のように 日常から消えようとしている。
若いころは音楽を聴いたり ぼーっと景色を眺めたりしたのになー。
かつて 中村壁を研究しているとき 左官の勝野さんが茶室について教えてくれた。利休は客人をもてなすために近くにあった竹を編んで 畑の土で簡単に壁を作って茶をたてたと。
途端に70年イタリアの現代美術のムーブメント”アルテ・ポーベラ”に通じる感覚を持った私は 茶道に興味がでた。
とは言っても その後 着飾った女性たちが集うお茶会には一度として出たことはない。言うまでもない。
自分が土を使って描く絵と その精神空間に何か シンクロするものはないだろうか。
予定調和の世界とは異なるこの空間は 人の心に何を起こすのだろうか。ザラついた心が 和の世界に浮き上がる。・・・・
日常に ふと足を止める 瞬間を作り出すことはできるだろうか。そんな場を探している。

2014年7月6日日曜日

ついに4強

サッカー好きなので、展覧会前のこの時期に到って 実に落ち着かない。日本代表が腰砕け的に退いたこともあって 案外クールにテレビを見られるが。ブラジルは地元の強さを出しているし、ドイツは地味に勝って実力を見せている。オランダはどいつこいつも強い選手ばかりだし、アルゼンチンのメッシは決める時はしっかりきめてくる。日本代表の実力なのか 精神力なのかずいぶん差がある感じだ。
さて、このところのヨーロッパの選手たちは移民の2世3世選手がかなり増えた感じだ。イギリス、フランスはかなり前からいたが、ベルギー、イタリア、スイスにはアフリカ、東欧、中東勢が増えた。そして強くなった。
確か私がいたころのヨーロッパ(30年も前)は経済が行き詰っていて失業した若者たちは麻薬に走って悲しい状況があった。そして近隣の中東、北アフリカ、東欧から 入国者(たぶん不法)が絶えなかった。その後ヨーロッパはユーロとして経済的に大きく姿を変え 移民を受け入れることになった。
あの頃 知り合いのイタリア人の女性はモロッコ人と一緒になり ベルギーに行って家族を作った。今はどう暮らしているか全く知らないが、その子供たちが きっとベルギーサッカーの選手層を厚くしているんだろう。そしてきっと経済も、社会も活気が出たに違いない。
閉塞感に満ちたこの日本も 近隣国からの移民を受け入れてダイナミックな社会を築く覚悟をもたないと詰まらぬ民族主義に囚われてしまう。
あの頃 ペルージアの仲間だった松山修平氏はそのままヨーロッパにとどまり そして結婚し、 今やアーチストとして活躍している。この30年 ある意味移民者として苦労が多かったろうと想像する。そうやってひとりひとりの血の出るような苦労の上に国が活力を取り戻していくのかと思うと感慨深い。
ヨーロッパのサッカーは果たして勝ち残れるだろうか。

2014年7月4日金曜日

銀座(東京)で個展をします



評論家の赤津侃氏の企画「第7回『時代の目』シリーズvol.4林正彦展」を
東京銀座のギャルリー志門で
今月末7・28日月曜日から8月2日土曜日まで
開催することになりました。
ギャルリー志門は6丁目で3年前に個展をやったルタンと同じビルの4階です。
暑い時期 夏休み と人出が少ない時期なので心配ですが、ぜひとも皆さんに見ていただきたいと開催を決めました。私にとりましてはちょっとした決意です。
と、言いますのはお金のかかる銀座での個展は もうぼつぼつこれを最後にして ほかの発表の方法を考えていきたいと考え出したから・・・・
先日若い日本画家から「林さんの今のスタイルはどこから来たのですか?」と聞かれた。私はとうとうと二十歳頃の想い=芸大受験のころアカデミック美術の閉塞状況の苦悩と60年代アメリカのアートに解放された喜びのこと、を語った。でも最後のほうは若い画家はあまり聞いてない感じであった。少し悲しかった。同じ画家でも見ているところが違うのかと。
でも、数年ほど前に 全く偶然私の個展を田舎の美術館で見たブルガリア・レッセドラ画廊のギオルギ氏は一度もあったこともないのに私の絵の中にその頃の解放を求めての意思を感じてくれた。私はそんな形での出会いを模索している。多くの絵の愛好者 作家たちが交錯する銀座で
どうしてそんな尊い出会いがあまり成就しないのだろうか?それともわたしがその事実を拾い上げれてないのだろうか?
いずれにしろ銀座での発表は経済的に大きな負担で 貧乏作家には荷が重い。赤津評論家には感謝 感謝。