”現代の創造展コンテンポラリー”投稿の続きですが、一人の作家について書いてみたい。
数年前50人展という展覧会に関わったとき 彼の平面作品に出合った。オレンジ色の抽象画で黒い線がマスクメロンの模様のように入ったクールな作品だった。
コンテンポラリーの参加者を捜していた私は声をかけて参加してもらったのだ。
しかし準備の間は病気になって 弱気な電話をもらったりもした。なかなか難しい出足だった。
第一回の彼の出品作は 最初見たものとは変化していて ふしぎな人物が登場し 星や雲がちりばめられたインスタレーションであった。私は?な感じであった。
次の年は 病欠・・・。
去年は 復帰し ロビーの中央にある倉庫の上のスペースをすべて使ってのインスタレーションをしてもらった。ブルーに塗られた箱には星が描かれごろごろ置かれていた。 ソファが置かれていて何か部屋を感じさせ 一つの空間なのかなと思った。ギャラリートークを聞いたが理解を超えていたな・・・。
今年のものは 会場で見ていただければ、私が言葉を尽くすよりも明確なので、省きたいが 例の青い箱たちが透明なラップシートでくるまれていた。なんと丸2日間かけて黙々と設置したのだ。
正直言って私には?な作品なのだが 何か彼の素朴でピュアな心が現われだした気がして (生意気な表現で恐縮だが ) 作家が育っていると感じている。 この4年間の確実なあゆみではないだろうか。
そして このように 心の奥底の はだかの魂にちょっとでも触れられるのが アートなんだと思う。
今年も2月27日、28日午後1時半からギャラリートークを開催します。皆様のお出でを待っております。作家の生の声を聴いてください。
2016年2月24日水曜日
2016年2月23日火曜日
現代の創造展、コンテンポラリー
コンテンポラリーの展示は 評判が良くうれしい限りだ。
4年目にしてやっと、この展示が信用されたような気がして、立ち上げに関与した人間としては 一安心といったところだ。
そもそも、この展覧会は数年前から マンネリ化、高齢化、が問題となっていた。また、作家選出についても改善の余地が指摘されていた。
しかし、組織が硬直化してなかなか改善に舵を切っていけなかった。その間会長選出で揉めたり、委員会がぎすぎす波風がたったり、重鎮たちが去って行ったり・・・それでも多くの美術団体やジャンルの集まりのため価値観が違いすぎ 全く深い話し合いになっていかなかったのだ。
仕方なく 私たち有志は、全員を説得して すべて新しい形に進むことをあきらめ、その代り新ジャンルを立ち上げて、そこで今までの手法では呼び込めない若いアーチストの展示を自由にやろうとしたのだ。(保守的な作家の意見の届かないところで)
展示場所も展示室のような閉ざされた空間ではないロビーですることにした、しかも自然光で。(こういった場所を使いたいという洋画家も、日本画家もいなかったので余計にうまく行ったと思う。)
初めの一年 二年は どこまで自由に展示していいのか 自己規制も働いてとても遠慮がち、結果おとなしい空間であったと思う。
若い作家たちも自信がないのかドタキャンさえあった。・・・(事務局のかたには迷惑をかけてしまった。)
しかし、4回目となった今年は 場所にも慣れて 自分たちの表現も自由度を増して堂々とした展覧会場となった。
観覧者の応援も私たちを勇気づけてくれた。毎回アンケートで新鮮さをほめてくれたのだ。うれしかった。それで若い作家たちも育っていったのだと実感している。
2016年2月18日木曜日
第16回現代の創造展
今週の日曜日(21日)から今年の現代の創造展が始まる。
飯伊地区の作家150人が一堂に会する展覧会・・改めて考えると すごいことだと思う。16年も続いているのである。
マンネリだとか、一部の作家に偏りがあるだとか、古いとか いろいろ言われているが 兎にも角にもこんな大きな( いろいろなジャンルの作家がいろいろな次元でかかわっているという意味 )展覧会が続いていることに意義があると思う。
私もここ数年 新しいジャンルコンテンポラリーを 当展覧会にねじ込んで新鮮な空気を送り込もうと関わってきたので 寒い季節のわりに 熱くなっている。
私のスタンスは、旧来の『いいご趣味ですね!』的なゲイジュツ愛好の集いではない 一人一人が美術を手にする(自分で感じる)展覧会にしていきたいというものだ。
先生に倣って言われるように描き展示するのではなく、自分で自分を大事にしながら自分の価値観を育てていく、という場にしていきたいのだ。
だから今は ジャンルとジャンルの間に 表現の可能性を見出そうとしている若者が多い。
油絵だとか 日本画だとか 書道だとかそういった枠で表現方法を考えていると きっと次の可能性は窮屈になって 最後は何も残ってこないだろう。
飯伊地区の作家150人が一堂に会する展覧会・・改めて考えると すごいことだと思う。16年も続いているのである。
マンネリだとか、一部の作家に偏りがあるだとか、古いとか いろいろ言われているが 兎にも角にもこんな大きな( いろいろなジャンルの作家がいろいろな次元でかかわっているという意味 )展覧会が続いていることに意義があると思う。
私もここ数年 新しいジャンルコンテンポラリーを 当展覧会にねじ込んで新鮮な空気を送り込もうと関わってきたので 寒い季節のわりに 熱くなっている。
私のスタンスは、旧来の『いいご趣味ですね!』的なゲイジュツ愛好の集いではない 一人一人が美術を手にする(自分で感じる)展覧会にしていきたいというものだ。
先生に倣って言われるように描き展示するのではなく、自分で自分を大事にしながら自分の価値観を育てていく、という場にしていきたいのだ。
だから今は ジャンルとジャンルの間に 表現の可能性を見出そうとしている若者が多い。
油絵だとか 日本画だとか 書道だとかそういった枠で表現方法を考えていると きっと次の可能性は窮屈になって 最後は何も残ってこないだろう。
2016年2月9日火曜日
墓地の大木
推定樹齢250年の椣(しで)の木を伐採しなくてはならなくなった。
我が家を含む4軒の共同墓地に大木が何本も生えていて 除木しないと墓石が不安定になってしまうのだ。
考えれば なかなか頭の痛い問題ではあるけれど 現実はどこか遠い話であった。
また放っておこうかとも思ったのだが、今回は4軒とも 何とかしようと思いがシンクロしたのでとうとう伐ってもらうことにした。何せ先祖たちが眠る地なので 気を遣うところでもある、 お祓いをしていただき 知人の山仕事の達人に(私の木こり道の師でもある)に伐っていただくことになった。
この方はとても面白い方なので 折々に話していきたい。
まず一つ目は登山家(主にロッククライミング)という過去を持っているのだ。・・・高い木の上を臆すことなくチェーンソウをあやつるのはそれゆえか!
下から見上げていた私は なぜか足が震えていた。
我が家を含む4軒の共同墓地に大木が何本も生えていて 除木しないと墓石が不安定になってしまうのだ。
考えれば なかなか頭の痛い問題ではあるけれど 現実はどこか遠い話であった。
また放っておこうかとも思ったのだが、今回は4軒とも 何とかしようと思いがシンクロしたのでとうとう伐ってもらうことにした。何せ先祖たちが眠る地なので 気を遣うところでもある、 お祓いをしていただき 知人の山仕事の達人に(私の木こり道の師でもある)に伐っていただくことになった。
この方はとても面白い方なので 折々に話していきたい。
まず一つ目は登山家(主にロッククライミング)という過去を持っているのだ。・・・高い木の上を臆すことなくチェーンソウをあやつるのはそれゆえか!
下から見上げていた私は なぜか足が震えていた。
新耀展の小品展が始まる
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