2016年3月15日火曜日

ピカソ展 あゝ若き頃

名古屋にてピカソ青・桃の時代展が開かれていて 久々に見に行ってきた。月並みだけどやはりピカソはすごい、ため息だ。
よく、半可通の人が 『何事にも基本が大事だ。あのピカソだってデッサンがあるからこそあのような絵が描けるんだ。』というのを聞くが私はそのたびに腹が立つ。確かに彼は幼いころから並外れたデッサン力が身についていた。14歳のデッサンがその早熟ぶりを語っていた。
17~8歳でアカデミアに入学するが そこではもうアカデミックな美術教育に飽き飽きとして 街の中の何かに魅かれ始める。
私はこの辺りの感じが若いころ(美大浪人の時代)やたら共感していた。一所懸命デッサンしてそして何がその先にあるんだろうか?という問いだ。黒田清輝から100年つづく日本の美術教育の末 果たしてどんな美術ヒーローが出たというのだ・・・
私は、若い頃こそ社会に目を向け 自分はどう生きるのかと試行錯誤していくことが大事でそれがアートだと感じていた。だからピカソの18のころの街を放浪する気持ちが解ったし羨ましかった。
私の時代は今よりはまだ社会が隙間だらけだったから ふわーっとしたいい加減な時を過ごすことができたが それでもまともな職に就かないと生きていけないという強迫観念に押しつぶされ ピカソのように(またはその時代のように)奔放には生きられなかった。デカタンの妄想だけだった。
ピカソはその時代の社会の矛盾のようなものを感じ貧しく放浪する人々を描いた。「貧しくても何か光る真実を私は感じることができる」と言っているようだ。まさに恍惚と不安我にありである。ピカソは後にこの青の時代は感傷だけだったと語っているが、しかしアカデミックな技術論の美術ではアートではないと感じて一歩踏み出した若きピカソはすばらしい。その一歩の深い意味を前述の半可通者は解っていないのだ。
そしてピカソはそこから落ちていかず、美術的興味で自身を高みに持っていった。

0 件のコメント:

コメントを投稿