2009年6月26日金曜日

第7回新耀展



28日(日)から7月4日(土)まで東京有楽町駅前の交通会館二階ギャラリーにて


 “個性の尊重・精神性の高い 自由な創造性を目指す集団 新耀展” 


が開催され 私も参加します。この時期はなかなか会場に顔を出せないので他の作家の方と交流ができず残念です。このブログが役に立たないか現在模索中です。


私は(一般論として)団体展をなんとなく見に行くのが苦手で 都美館も新都美館もあまり行ってません。理由は・・・あまりはっきりしないのですが、作品数が多すぎ テーマや主張に翻弄されて疲れてしまうから。まあ私の鑑賞許容ビットが少ないからでしょう。ですから当然ながら団体展に属さずに今日まで来ています。マイペースな創作活動といえば聞こえがいいですが、刺激がなさ過ぎるかな と考え何年か前、原さん 戸谷さんにお願いして参加させてもらいました。嗚呼にもかかわらず、会場に出向かないのはいかがなものか・・・ けっしてモランディ(彼は故郷ボローニャから一歩も出なかったという。)をきどって出不精を決め込んでいるわけではありません。

2009年6月19日金曜日

コンテンポラリーにこだわる


ゴッホやゴーギャンの後 アートの力の偉大さをどう乗り越えていけるんだろう・・・二十歳のころから考えていることだ。単純に思ったのは、太宰や長谷川、モディリアニのように同じ方向に向かうことの畏怖だった。道端に咲く花は美しいが、どん詰まりの道のような気がした。そんな時見たラウシェンバーグはとても世界を広げてくれた気がした。何か違った角度からアートを攻めていけそうに思ったのだ。それに何より開放感がたまらなかった。まあそんな理由からコンテンポラリーの思いににつながっているのですが、はたして その開放は今も生きているのだろうか・・・

2009年6月10日水曜日

モチベーション


梅雨のシーズンのためか気持ちが滅入る日々が続く。前のページで“かっこよく生きる”なんて書いたもんだから余計に何もできなくなってしまった。つくづく情けない。


絵を描いていると、躁状態と鬱状態が刻一刻入れ替わるのが自分でもよくわかる。一タッチで自分はピカソを超えた!天才だ!と思ったり(残念だが本当に思う) 無能で生きる価値もない!と絶望したりもする。天才だと思った後は大概よくない。たぶん第三者の目には「なにに狂喜しているの?」と思えるところにこだわり、固守して次に踏み込んでいけない。守ろうとする気持ちが自分を支配してしまうんだ。それは絶対にかっこいい生き方ではない・・・なんて自分なんだ!としばらく落ち込んだ後マイナスエネルギーがどうにでもなれとやぶれかぶれで筆を動かす。すると案外いい流れになったり・・・嗚呼 自分の気持ちはつかめない。

2009年6月4日木曜日

平面領域展


7月11日から18日まで長野県飯田創造館にて“平面領域展”を開催いたします。参加者は佐々木敏彦氏(漆芸)、原隆夫氏(ミクストメデェア)、甕恵美氏(書)、桐生好氏(ミクストメディア)と私の5名です。飯田、下伊那の地にすみ さまざまなメディアをとうしコンテンポラリーな表現を模索する作家の近作を展示します。私はコンテンポラリーというところに注目したいと思っています。いまをここでいきると言うコンテンポラリーのテーマをもう一度頭に浮かべてみましょう。そしてコンテンポラリーはかっこよくいきる

を問うています。単にかっこいい絵を描いているかではなく、かっこよくいきているか? すなわち自分に自信を待って堂々と生きているかが問われているのです。すべての面で・・・うーん辛いところだ!問題がありすぎる! しかしその問いに立ち向かう態度が大事でその反映が作品だと思うのです。

大風呂敷を広げすぎたかもしれないが、テーマを公開して展覧会を見ていただきたいと思いました。

2009年5月30日土曜日

中村壁の本



南信州新聞社の村澤氏 とうとう中村壁の本を出しました!数年前のちょうど今頃 元左官の勝野氏と三人で幻の“中村壁”を探して飯田中を探したあの面白い旅(?)の本が。私的アートの暮らしが地域の文化と知らないうちに結びついていたという不思議でうれしい体験でした。それを 企画し興味深い新聞記事にしていただいた村澤氏のセンスに心より感謝の気持ちを表したいと思います。
タイトル:中村壁と遺墨たち 著者:村澤聡 南信州新聞社出版局発行
定価:¥1200-

2009年5月26日火曜日

抽象画って何?


このごろ高校生に“抽象画って何?”と問われた。なかなか難問だ。ここに掲げた“友”と題する私の絵は いわゆる抽象画です。しかしスタートは 散歩のページで書いたように町の壁に感動して始動しているのです。土の持つ落ち着いた風合いや色調を何とか再現したいと思っていました。その点では 具象画と構造は同じだと思う。たとえば 風景に感動してそれを再現しようとする風景画のように。

そして柔らかな土の色が出てきたころ 古い友と久しぶりに会ったときのような優しい気持ちが 絵にシンクロしてきました。そしてこの絵の方向ができたのですが・・・この気持ちが 果たしてみる側の人にどのように伝わるのかよくわからない。ただ、落ち着いたやさしい心のようなものを感じて何かイメージを喚起してもらえば 私としては この抽象画はひとつの価値を持ちえたと思うのです。

2009年5月21日木曜日

散歩をする


ここ何年か散歩を心がけているが、なかなか面倒臭くなって、続かない。野球のイチロウのように意識を高く保てる人がうらやましい。といって、昔の文学者のように堕落を極める覚悟もない。しかたがないので、音楽を聴きながら歩いたり カメラを持ち出したりして、どうにかやっている。歩き始めれば肩こりがなくなったり 足の運びがよくなったりと気持ちがいい。街角には面白いものが意外とあるんだ。土壁は、いまさらながら面白い。そんなときのワンショットをパソコンで遊ぶのもこのごろの散歩継続の方法である。