我が家にある木犀の木から 久々に秋らしい香りがしてきた。 ここ2年ほど 大きくなりすぎていたこの木を私はバシバシと剪定していたので 弱ってしまいろくに花をつけることができなかったのだ。可哀想だなと思いつつも自分の勝手を通してきた。が ここにきて実は ほっとしている。いい香りだ。
その話を高校生の娘にするとキンモクセイッテ?ときた。木犀をやっと説明すると トイレの芳香剤の匂いね、という。アプローチに情緒もへちまもない。
わたしはある話を思い出していた。
友人が 息子が飼い始めた子犬を散歩に連れて行った日のことだ。ゆったりとした気持ちで歩を進めていくと とある街角で突然車が出てきて子犬とぶつかってしまった。どのくらいの事故であったのか私はよく知らないが 子犬はキャンキャンとものすごい声をあげ 彼の胸元に飛び込んできたのだ。・・・
以来彼の犬への溺愛ぶりは相当なもので、もう息子の犬ではないようだ。
私も木犀をあまり邪険にしないようにしたい。
2016年9月28日水曜日
2016年9月22日木曜日
赤土講座のプチ作品展
2016年8月30日火曜日
久々に 主張を考える
原発の問題、沖縄の基地問題、国外では中東の問題や難民問題・・・難しくてそう簡単に意見は言えない。が 漠然とこうあるべきではないかとは考えている。
先日高校時代の同学年の会があった。昨年夏 元高校美術班3人展を開催した折 多くの同学年生が受付やら オープニングパーティーやらで手伝ってくれて大いに盛り上がった。 彼らも同級会とは違った再会に 展覧会をある意味大いに楽しんでくれたようだった。そんな熱がまだ残っていて今年も暑気払いと銘打って二十数人が集まったのだ。卒業以来四十数年話したことも会ったこともない奴らもいた。でも酒が入るとことのほか打ち解けて楽しい時間だった。
さて、前置きが長くなったが そんな会で医者になっている一人がまじめ顔で(元々まじめな奴だが)文頭の諸問題の意見を言った。とても意識の高い雰囲気だった。何人かもそれぞれ意見を言っていた。私たち元美術班はちょっと腰が引けた感じだった。ふざけた話は大声で話すのに・・・
その医者は「こういった大事な問題をアートに表現してもらいたいよ。」といった。
現代美術は本来こういったテーマは扱いうるジャンルのはずだ。なぜやらないんだ?と自問してみた。
初めて油絵具を買ってもらった高校の頃 私は当時のビアフラ問題を絵にした記憶がある。アサヒグラフという雑誌の写真をもとに貧困で死にかけているアフリカの子供の絵を描いた。その問題を当時どのように理解していたかは覚えてもいない。ただ、写真を見て描く自分が真実のうわっ滑りをしているような気持ちになった記憶はある。その後見えるものを描くことのほうが実感を得られ、その方向性は置き去りにしてしまったようだ。
社会問題と自分との距離がリアルな実感を伴った表現にならない。それが きっと自分の今の姿勢なんだと思う。
と言って 先に書いたようにこうあるべきだと思う私の方向は 私の赤土の仕事の中には確かにあるつもりだ。 例えば放射性物質に汚染されない豊かな自然の中で生きる人間こそ 本当の自由な暮らしがあると。
先日高校時代の同学年の会があった。昨年夏 元高校美術班3人展を開催した折 多くの同学年生が受付やら オープニングパーティーやらで手伝ってくれて大いに盛り上がった。 彼らも同級会とは違った再会に 展覧会をある意味大いに楽しんでくれたようだった。そんな熱がまだ残っていて今年も暑気払いと銘打って二十数人が集まったのだ。卒業以来四十数年話したことも会ったこともない奴らもいた。でも酒が入るとことのほか打ち解けて楽しい時間だった。
さて、前置きが長くなったが そんな会で医者になっている一人がまじめ顔で(元々まじめな奴だが)文頭の諸問題の意見を言った。とても意識の高い雰囲気だった。何人かもそれぞれ意見を言っていた。私たち元美術班はちょっと腰が引けた感じだった。ふざけた話は大声で話すのに・・・
その医者は「こういった大事な問題をアートに表現してもらいたいよ。」といった。
現代美術は本来こういったテーマは扱いうるジャンルのはずだ。なぜやらないんだ?と自問してみた。
初めて油絵具を買ってもらった高校の頃 私は当時のビアフラ問題を絵にした記憶がある。アサヒグラフという雑誌の写真をもとに貧困で死にかけているアフリカの子供の絵を描いた。その問題を当時どのように理解していたかは覚えてもいない。ただ、写真を見て描く自分が真実のうわっ滑りをしているような気持ちになった記憶はある。その後見えるものを描くことのほうが実感を得られ、その方向性は置き去りにしてしまったようだ。
社会問題と自分との距離がリアルな実感を伴った表現にならない。それが きっと自分の今の姿勢なんだと思う。
と言って 先に書いたようにこうあるべきだと思う私の方向は 私の赤土の仕事の中には確かにあるつもりだ。 例えば放射性物質に汚染されない豊かな自然の中で生きる人間こそ 本当の自由な暮らしがあると。
2016年8月23日火曜日
さあ、秋だ!赤土講座再会
長くブログに触れず夏が終わりそうだ。7月の終わりにペルージア時代の友人たちの会が横浜であり 懐かしさにどうもはしゃぎすぎたようで その後一か月夏風邪に悩まされてしまった。いつの間にか自分は暑さに弱くなってしまったようだ。少し初老性鬱が出てるんじゃない?とある友人に言われた です・・・。テレビでリオ五輪を楽しんでいる間に幸い風邪は抜けて どうやらエネルギーもチャージできつつある。良かった!
今週と来週の土曜日は 昨年からは始めた赤土講座が再会する。ちょっと気持ちを入れねばならないところである。
今年は少し具体的な方向性を提示して作品を作ってもらおうかなと考えている。
昨年は 「赤土に接して その感覚で何でも自由にやってみよう」ということであったので 赤土ってどんな感じ?捏ねてみるとどうなるんだろう?・・というところから 僕は何も言わずにそれぞれに任せていた。
それでみなさんは若干途方に暮れたようだった。僕的にはそこでしっかり立ち止まってもらい そして感じて試行錯誤をしてもらいたかったのだ。結果はどうだったのかよくわからなかったが、単なる泥遊びの次元で次が見えなかったのかもしれない。というのも今年の参加者がちょっと減ってしまったからだ。どんな形が自分の中で「いいな」と思えるのかは それぞれ違うとは思うが少し僕の方向性を提示して具体的な道筋を着手してもらおうと考えています。それは、土の質感に拘ってもらうことです。では、土の質感で「いいな」と思う状態はどんなのか・・?たとえば、表面がつるつるではなく といってギザギザでなく 柔らかな土色のトーンがでている感じ、そっと手で触れたくなるような感じ。
では、それを表現してみよう・・・
こんなことを考えつつ 講座を準備し始めたこの頃でした。
2016年7月14日木曜日
FontanaとBurri
この頃よく若いミュージシャンが”ロック愛”を語るが 私は"現代美術愛"をつい思ってしまう。
ちょっと前何かの展覧会セレモニーである美術家がとうとうと現代美術なんて存在しないのではないかというようなことを言っていてとてもがっかりしてしまった。確かに今の上野を中心にした美術界はそんな淀んだ感じなのかもしれない。私は何度も書いているがポロックあたりからのアメリカの現代美術やヨーロッパの戦後アートに心を奪われている人間なので 一緒にしないでくれと思ってしまう。
さて、フォンタナの話の続きを書こう。
フォンタナは戦後まもなくローマでブッリたちとグループ展を開く。ブッリはペルージアの近くの街で生まれペルージア大学医学部後、第二次大戦にアメリカの捕虜になっている。そんなあと数年で ”あのアート”になっていくのだ。武満徹の音楽のように深くて強い抽象性がある時代だったのだろう。・・・
生き死にの地獄からの解放であったのか・・・
ブッリの麻布の作品が私は好きだ。そこには描かれたというフォルムはない。あるのは素材の布のもつ柔らかさ、やさしさ、強さ、それに生きた人間がそこにいたという人間に対する親和性など、それが破れた汚い麻布だという既成の価値観から一歩踏み込んで観たときに しっかりと感じることのできる絵なのだ。それはそれまでにはなかった新鮮で斬新な表現だった。
私はその世界が私の進みたい表現の道だと思った。だから前回書いたように[フォンタナ以降の世界]を信じた一人だった。
ブッリはその後ビニールを焼いたり、タールを大きく固めたりしていたがやがて新作はなくなってしまった。
その後の美術界もその素材性についていろいろな展開を見せたがだんだんと物に近くなって素材性のストイックでロマンな感じが薄れてきた。アルテ・ポーヴェラの旗手たちも素材を深化させていったが表現される豊かさは薄れていった気がする。作品の訴える力は小粒になっていったと言わざるを得ない。作品の素材感が 即物的なクールなものになり やがて心の通わない世界になってしまった気がする。(一歩踏み込めば 豊かに感じることができていた表現が 消えて言った感じ)
そして今や お化けのようにまたフォルムが出現してきた。それは初期の素材性を否定することなのに・・・
抽象的なことを感じる感性が萎んできているのかな?世の中も 私自身も・・・
戦争から70年ということもあるだろうし、TV(テレビ)の登場も見えないものを感じにくくしているんだろうな・・・
画像は10年前の自作。
ちょっと前何かの展覧会セレモニーである美術家がとうとうと現代美術なんて存在しないのではないかというようなことを言っていてとてもがっかりしてしまった。確かに今の上野を中心にした美術界はそんな淀んだ感じなのかもしれない。私は何度も書いているがポロックあたりからのアメリカの現代美術やヨーロッパの戦後アートに心を奪われている人間なので 一緒にしないでくれと思ってしまう。
さて、フォンタナの話の続きを書こう。
フォンタナは戦後まもなくローマでブッリたちとグループ展を開く。ブッリはペルージアの近くの街で生まれペルージア大学医学部後、第二次大戦にアメリカの捕虜になっている。そんなあと数年で ”あのアート”になっていくのだ。武満徹の音楽のように深くて強い抽象性がある時代だったのだろう。・・・生き死にの地獄からの解放であったのか・・・
ブッリの麻布の作品が私は好きだ。そこには描かれたというフォルムはない。あるのは素材の布のもつ柔らかさ、やさしさ、強さ、それに生きた人間がそこにいたという人間に対する親和性など、それが破れた汚い麻布だという既成の価値観から一歩踏み込んで観たときに しっかりと感じることのできる絵なのだ。それはそれまでにはなかった新鮮で斬新な表現だった。
私はその世界が私の進みたい表現の道だと思った。だから前回書いたように[フォンタナ以降の世界]を信じた一人だった。
ブッリはその後ビニールを焼いたり、タールを大きく固めたりしていたがやがて新作はなくなってしまった。
その後の美術界もその素材性についていろいろな展開を見せたがだんだんと物に近くなって素材性のストイックでロマンな感じが薄れてきた。アルテ・ポーヴェラの旗手たちも素材を深化させていったが表現される豊かさは薄れていった気がする。作品の訴える力は小粒になっていったと言わざるを得ない。作品の素材感が 即物的なクールなものになり やがて心の通わない世界になってしまった気がする。(一歩踏み込めば 豊かに感じることができていた表現が 消えて言った感じ)
そして今や お化けのようにまたフォルムが出現してきた。それは初期の素材性を否定することなのに・・・
抽象的なことを感じる感性が萎んできているのかな?世の中も 私自身も・・・
戦争から70年ということもあるだろうし、TV(テレビ)の登場も見えないものを感じにくくしているんだろうな・・・
画像は10年前の自作。
2016年7月6日水曜日
Centre pompidou ; Timeline1906-1977
先週フォンタナに触れたが タイミングよく東京都美術館でポンピドウセンターのタイムライン1906~1977という展覧会を見ることができた。まさしくフォンタナがなぜあんな作品に行きついたのかを感じさせる時代理解の展示であったと思う。機械の発展、理性と感性の遊離、センセイショナルな表現、豊かさと狂気、戦争・・・私たちが今思っているほとんどの感情がこの100年で発露しているようにも思える。この展覧会はそこが良くわかる。そしてコンテンポラリーの表現はほぼ出尽くしているようにも思えてしまう。・・・私たちが今やっていることは この100年の表現の焼き直しなのかもしれない。
ただ、環境保護とか 中東問題に対する姿勢とか グローバリズム問題とか 20世紀の宿題もたくさんある。それはそれで私たちに問われている難題だ。そこを自分の中の問題として取り入れてテーマとなしうるかがこれからの表現する者の新ステージだと思う。自分の痛みとそれがどうシンクロしているのか気が付けるか きっとそれがカギなんだと思う。
むかしヨーロッパに行ってすぐ(78年早春のころ)オープンまもなくのこの美術館で 私はぶったまげた。
ここにすべてがあると思ったのだ。現代美術に魅了されたんだった。正確に言うと現代美術がどうして生まれたのかが分かった気がしたのだ。ぶつぶつ切れたイズムではなく歴史の流れとしてストンと私に入った気がしたのだ。
まだ、日本のガイドブックにはここは載っていなくて(少なくても、私が当時持っていたフランス旅のガイドブックにはなかった。) 歩いていて偶然 出くわした巨大コンビナートのような建物!!!。 なんだろうと思いながら入ったら ピカソ ブラック マチス ボナールなどなど 画集で知ってあこがれていた名品ばかりに出会えたのだ!・・。もちろんその後にタピエスにも ここで出会った。
ただ、環境保護とか 中東問題に対する姿勢とか グローバリズム問題とか 20世紀の宿題もたくさんある。それはそれで私たちに問われている難題だ。そこを自分の中の問題として取り入れてテーマとなしうるかがこれからの表現する者の新ステージだと思う。自分の痛みとそれがどうシンクロしているのか気が付けるか きっとそれがカギなんだと思う。むかしヨーロッパに行ってすぐ(78年早春のころ)オープンまもなくのこの美術館で 私はぶったまげた。
ここにすべてがあると思ったのだ。現代美術に魅了されたんだった。正確に言うと現代美術がどうして生まれたのかが分かった気がしたのだ。ぶつぶつ切れたイズムではなく歴史の流れとしてストンと私に入った気がしたのだ。
まだ、日本のガイドブックにはここは載っていなくて(少なくても、私が当時持っていたフランス旅のガイドブックにはなかった。) 歩いていて偶然 出くわした巨大コンビナートのような建物!!!。 なんだろうと思いながら入ったら ピカソ ブラック マチス ボナールなどなど 画集で知ってあこがれていた名品ばかりに出会えたのだ!・・。もちろんその後にタピエスにも ここで出会った。
2016年6月28日火曜日
14回新耀展でフォンタナを話す
先週は有楽町の交通会館にて新耀展が開催されていました。もう14回にもなっていて落ちつた感じの展覧会でした。最終日になんとか駆けつけて皆様にご挨拶。2年ぶりになるためかなんかいい感じの驚きがあった。変に気張ってないからかな、それに洗練されて来たと思う。(皆さんは大方70歳前後の方たちだから 失礼な言い方だと思いますが・・・)以前から時折話をするYさんとちょっと会話をした。『ルーチョ フォンタナの次ってないんですよね?』 私は答えるべきと思ったが言葉が詰まった。
私は好きな作家だったから なんか不思議な責任感を感じて余計戸惑ってしまった。
家に帰ってから もう一度ネットで調べ直すしかなかった。
Lcio Fontana イタリアの現代美術作家、キャンバスを鋭いナイフで切り裂いた作品で有名。
1899年アルゼンチン生まれの人だったんだ!まさに激動の20世紀を生きた人で 10代でイタリアに渡り第一次世界大戦を経験、その後ミラノのブレラ美術学院で彫刻を学ぶ。南米と行き来しつつ作家活動。そして、第2次大戦後 50年ころベネチアであの作品を発表し 有名に。・・・
驚くべきは 現代美術が生まれてきた流れとほぼ同時代の人なのだ。ピカソより8歳年下で
(しばらく前に私が当ブログで取り上げた)静物画で独自の世界を作り上げたモランディとは一歳年上。
いろいろな思想や潮流ムーブメントが怒涛のように彼らを流れていったのだろう。
さて、初めの問いに戻ると
確かに、あの鋭い作品はあまりに完成形で 次を考えられない。キャンバスの色を変えたり、カットを2本にしたり ・・いくつかのバリエーションはあるが発展した次の次元はないように思える。
一般に現代美術には ワンヒットワンダーが多い。バーネットニューマン、ポロック、ロスコ、・・私の好きなブッリも60年代後半には制作は止まっていた。
ただ、崇拝者は凄いいるのだ。現代美術ファンはほぼ全員そうだともいえる。
反面作家自身はつらい最期の人が多い。きっとこの先に幸せがあると一瞬(?)皆信じたのだと思う。何か新しい道が開けたと思った。しかし幻だったのか・・・道は開けていなかった。信者は期待するが次が見えない。・・絶望・・不幸な最期・・
美術ジャーナリズムにも 大いに責任があると思う。ゆっくり新しい道を開拓していきたくても センセイショナルに煌びやかに 取り扱い
そしてとうとう最後は可能性をつぶしている。
こんな風潮だからこそ モランディのような生まれ故郷に籠もり制作する姿勢が尊いのかもしれない。
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