2019年11月5日火曜日

CAF.N(埼玉近代美術館)展は明日から

CAF.N展http://www.caf-n.com/の搬入で、昨日は埼玉までの往復でした。実は私はこの時期の中央道ドライブが好きで毎年解放感をひそかに楽しんでいます。特に素晴らしいのは諏訪あたりから甲府に向かう山々の圧倒的な紅葉だ。
まず諏訪インター周辺は楓の深紅が素晴らしい。赤い絵の具の中を走っているようだ。今年はまだちょっと早いようで緑の葉も少し見受けられた。
次は右手にカラ松の森、金色の森は無限に広がるようだ。
八ヶ岳の量感を左手に感じ進むめば、今度は甲斐駒の山塊がドーンと広がる。全山紅葉である。昔読んだ坂口安吾に「汽車が通り過ぎるとそこには全山燃えるような紅葉であった・・」というような文・・?。なぜか思い出す。文学の秋は門外漢。
薄紫がかったオレンジ山肌がもくもくと頂上のほうに続いている。気が付けば前方中央には逆光の富士が登場。あっぱれ!
この辺りは縄文の文化が栄えた地域だ。この自然の豊かさを思えば、至極当然ともいえよう。
悦に浸っていたら 事故渋滞に巻き込まれてしまった。そうだ、今日は三連休最終日であった。2時間遅れで美術館に到着し、なんとか搬入を終えた。




2019年10月28日月曜日

芽楽(ギャラリー)での個展

名古屋市名東区にあるギャラリー芽楽での個展が昨日で終了しました。とても柔和なオーナーのもとでの展覧会は心落ち着ける展覧会でした。ただ、期間中台風19号襲来による全国的豪雨被害の影響を受け初日のレセプションやチェロコンサートの中止となってしまいました。またその後も20号台風の猛威にさらされてしまい、ゆったりと絵を鑑賞する”秋”ではなかったようで、人の入りは芳しくありませんでした。
ラグビーワールドカップもこの時期予想外に盛り上がり 絵どころではなかったかもしれません。実は私自身もにわかファンで、しかも画廊オーナーの池田氏はYAMAHAラグビー部第一期生、 なかなかなプロの目を(芸術以外にも)お持ちなのです。ちょっとしたときに聞くラグビーの話はうんちくがあり、いろいろ聞かずにはいられませんでした。(特に日本代表がベスト8に勝ち進んだ日や、惜しくも次で負けてしまった日の昼間は試合前なので 私はなんともそわそわ感がたまりませんでした。「仕事ですからきちっとしましょう」といいながら・・・)
そして 初日のチェロ演奏ができなかったので途中で急遽演奏をしてくれた生田さん、ありがとうございました。突然チェロをもって来場し、私たち(オーナーと奥さん)3人だけのためにバッハを弾いてくださいました。王侯貴族にでもなった気分でした。
私の絵の土(中村ブラウン)の絵肌と チェロの持つ複雑で体まで共鳴するようなあの音色は とてもいい関係だと 思うのです。


2019年10月7日月曜日

10年分のブログを久々に・・

ほぼ1年ブログをご無沙汰していました。
Facebookの手軽さと見てくれるお友達の反応でそちらに気持ちが行っていましたが、久々に自分のブログを開いてみて やはりそれなりに物事を考えて書いていたと気づき こちらもちょっとづつ続ける気持ちです。
久々にここを開くきっかけは ある展覧会に自分のプロフィールを提出しなくてはならなくなりましたが ちょっと前のことも記憶があいまいで なかなか書けなかったのです。
過去を振り返るのも少し鬱陶しいと思って自分のブログを改めて読むことなど嫌っていたのですが まあ仕方なくページを振り返ってみれば それなりに考えて書いていて 我ながらこれに意味を感じ取ったのでありますよ!(Facebookでは深まらない何かがあるかな・・)
2009年から書いていたのですが 書いている内容は 当時地元飯田での美術界の権威主義に対し何とかしたいということが多かったですね。その後「現代の創造展」(飯田市美術博物館と美術団体、美術家の会の共催)にコンテンポラリー部門ができて知らぬ間に抵抗勢力(?)がいなくなってしまった。そして若い人たちはそんなことがあったなんて感じることもなく なにやら独特な作品を発表しだした。・・これも年を取ったということか。
それから 時々気にしていたのが 原発問題だ。深い考察があるわけでもないが、私たちが育ってきた時代と時を同じくして 原子力発電は展開されていった。一時は電気の必要性に怖いけど 無暗に反対するのもどうかなーと思うこともあった。(バブルのころか・・)しかし福島であんな惨事が起こり 多くの人の故郷が消失した。やはり無理なんだと思った。廃棄物だって行き場がないではないか。なるべくはやくなくすべきと考えるようになった。そうしたら今度は関西電力の不祥事だ!一番慎重に考えたいときに 金で事を進めていってしまう。そして合意なきgo! である。誰がその後を責任取るのか?どこか第二次大戦突入に似てはしないだろうか?
僕たちの世代は原子力と並走しているのだ。考えないわけにはいかない。
故郷とは母と同意語なところがある。「お前がどうあれ 私はおまえを信じるよ」といった響きだ。それをいつの間にか奪い 責任者が責任を取らないなんて ・・・否。
長々と書き始めましたが、本日はここまで。


2019年4月1日月曜日

抽象と具象

ひょんなことからパソコンのデータを消失してしまって、しばらくこのページに戻ってこられませんでした。
もうブログもいいかとも考えたのですが、やっぱり たまには文書で頭の中を整理したくなっても来るので・・


2月に赤津侃氏企画の「個の屹立展」9thに続いて4月の10thにもご依頼をいただいたので 春の華やかなところに行きたくなり 本日作品を梱包した。





今回は抽象性がやや希薄な作品になった。なんかこの頃 抽象的な世界に入っていくも


どうも進展がそこからないのだ!もしくは深まりがない!もっと端的にいうと“飽き”・・?といった不満感が漂うのかな。
〈写真左は第9回展の「筋」で右は第10回展の「崖と静物」少しばかり具象性に近づけた作品です。〉
絵は ある意味スイッチを入れてみないと 見えるものが見えてこない。そのスイッチは自分の意識がコントロールしているはずだが 見ると同時にスイッチの入る絵がある、それは感動的な他人の絵に出合った時だったりする。自分の絵ではしばらくぶりに見るときくらいしか起きないかな。
マークロスコを見ると時間を忘れる、しかし全然とっかかりなくスルーしてしまう作家もある。その差には作品の質(クオリティ)の問題もあるが見る側の好みや鑑賞のこころ具合も大きい。
たとえば龍安寺の石庭に宇宙を感じるには 心の余裕と自由な発想のあそびがいる。ところがトイレに行きたかったり 周りがうるさかったり かえりの旅が心配だったりすれば宇宙どころじゃあない。見えるものも見えてこないだろう。
どうも いま(自分だけの問題なのか)ひろがりのある宇宙を感じにくい。
卑近な現実に興味があって 未来とか宇宙とか形而上の想像力が貧弱になっているのだろうか・・・


2018年12月21日金曜日

1か月のメキシコ滞在

メキシコは古代からの文化が地平で力強く流れ、そこへスペイン文化が征服という形で入った。その結果といっていいのか 他の南米諸国がそうであるように”混沌”があるのかもしれない。(日本人の私にはそう感じてしまうが この言葉が適当なのかは迷う・・)サンクリストバルに入ってすぐに、メルカートが好きで2~3日通って思ったが、多くの人たちは先住民系で肌の色は濃く小柄で日本人にも似ている。働く人々である。表情は?というとそれはなぜかない。楽しそうに笑ったり冗談を言ったりする場面には出会わなかった。街にはスペイン系の人たちもホテルとか、お店でまじめに働いているが なんかかれらとは雰囲気は違う。言葉もマヤ語系の言葉を使う場面があるようで別世界のようだ。
学校もすべての子供が行っているわけではないようだ。断絶には文化的壁だけでなく貧困問題もあるのだろう。
人々の立つ位置が、ルーツから本当にさまざまで、日本育ちの私には「一つの国として まとまっていけるのだろうか?」と思ってしまう。”多様性”という言葉を日本ではこの頃よく聞くが この国では あまりに底知れぬ多様性に 他を理解しようだなんて考える余裕なんてないのかもしれない。
ただ、ヨーロッパ系の上流社会がここでは生きていて 問題を乗り越えようと手を差し伸べてもいる。私が花藤氏に連れられて行ったチャリティーディナーはとても華やかで盛大(500人ほどの紳士淑女)、数千万円の寄付を一夜で集めたようだ!

花藤氏の先住民をテーマにした絵が大いに人気なのは前の項でも書いた。余談だが私の絵もこの夜買い手がついて、展覧会にメキシコに来た甲斐があったとささやかに祝った。


2018年12月19日水曜日

画家 Hanafuji

ラカンドンの村に着くと花藤氏はラカンドン族の衣装になった。ちょっと見 日本人とは思えない。過去にここでマリオたちと生活を共にしたらしい。道理でマリオのことを息子同然だと言っていたし、彼の家族も花藤氏のことを親戚のおじさんのように接している。深いつながりを感じる。
さて、彼はメキシコに渡ってからずーっと先住民の暮らしに惹かれそれをテーマに50年描いてきた。ここ15年くらいはサンクリストバルに移りより先住民と近くに暮らしその追求を深めている。それは理解者の広がりにもつながり今ではメキシコで名の通った作家だ。
その成功は多くの苦労のうえに咲いた花だと彼も語っていたが、彼の長男タロウ氏も異口同音であった。情熱と夢で突っ走った時代から50年、そこには芸術家一家の苦節があるのだ。
その成功のおかげで私などもこうしてメキシコの地で温かい歓迎を受けて 個展をすることができる。
写真は花藤氏の大作で 先住民の伝統舞踏の絵で征服者スペイン兵の行進だ。サングラスをかけて踊るのは地の顔を隠すためで、そこには被征服者の屈折した反抗の心が隠されている。

2018年12月18日火曜日

ラカンドン族のマリオ氏

かすかなかびの匂いがして そして川の音で目が覚めた。
そうだ、夕べは夜遅くマリオの経営するバンガロウに泊めていただいたのだった。
パレンケの遺跡を見学してから 花藤氏の旧友であり マヤの血を受け継ぐラカンドン族のマリオ氏が車で迎えに来てくれたのだ。
これからグアテマラ国境地帯にあるラカンドンの村にむかうのだ。緩やかな下り坂の道は徐々に森の中に入って行き 街灯などない山道はひたすら南にむかう。おおきなオレンジ色の満月が木々の間から煌々と でも怪しく輝き始めていた。時々おおきな連結のトラックがすれ違うだけの闇の道が続く。
メキシコの道にはトッペというおかしな出っ張りが至る所にある。高速で走り続けられないように設置されていて、街道沿いの村々や学校などの前でどうしても減速させられてしまう。どんな車でもゴットンゴットン どっこいしょ!と乗り越えていかざるを得ないのだ。そしてそこには案の定物売りがいたり 物もらいがいたりで・・・急に闇から手が出てきたりすると慣れない私などびっくりしてしまう。
ジャングルの道ではこんなことにも遭遇した。牛が数頭道端に転がっていたのだ!足が上を向いていたから死んでいたのだと思う。暗かったし、そんなことありうるとも思わないから とうとう幻覚に落ちたか自分を疑ったが、前席の花藤氏に声をかけると「グアテマラからの牛を運ぶトラック街道だから 事故った車が牛を放り出して行ってしまったのだろう」とのことであった!・・・
日本での常識が通じない1日だった。