2009年12月19日土曜日

手塚俊尚日本画展開催中


手塚氏の風景画の個展が飯田市上郷のアートハウスで行われている。
"伊那谷の風景Ⅱ”と題されたその展覧会は 規模は小さいがしみじみとした伊那谷の景色が展開していてうつくしい。彼と私は高校時代からの親しい友だ。ともに美術クラブに籍を置いていた。そのころ彼は芥川の言葉として『日常の些事を愛せ』という一節をさかんに話していた。
十代の私にはその二段構え的な考えにどうもなじめなかったが、30年のときを経て彼の絵を見ていてその言葉の持つ奥行きをなんとなく理解したような気がした。身近な風景に詩情があふれている。

2009年12月6日日曜日

Y先生と平山郁夫


右の絵は私の二十歳のころの自画像でY先生の自画像に感化を受けて描いたものだ。その先生の絵はとても深くて 青春の希望に満ちた甘味さと同時に将来に対する不安なのか暗さのあるとても素晴らしい絵だった。やはり二十歳の自画像だ。高校を卒業してからT君と先生の家を訪ねたときその絵を見たのだ。しばらく私たち二人は感動で言葉を失った。Y先生は私たちの高校時代に教わった美術の先生で実に不思議な人だった。無口で物静か 必要な会話は早口でぼそぼそとしゃべる、目を見て話はしない。何かに怒っている様でもあった。美術研究室はいつも僕らがうろうろしていたから、いつも階下の生物研究室に身を寄せていた。先生の絵らしい絵と言えば、研究室の机の上にあった小さなスケッチブックのつつじの花のデッサンぐらいだった。

ただ、Y先生は芸大で平山郁夫と同級生だと言うことは噂でみな知っていた。しかしあの自画像を見て私たちはただならぬ才能を知った。きっと同級の平山郁夫もそのすごさを知ったことだろう。

あのころ先生は47~8歳 平山郁夫は芸大の教授で飛ぶ鳥を落とす勢いだっただろう。今思えば、Y先生の焦燥はなんとなくせん越ながら想像できる。つつじのデッサンだけでなく もっと作品に取り組みたかっただろう。

先日平山郁夫が亡くなった。評価はいろいろだ。激動の60年代から仏教を中心に平和をテーマに描いている。退屈だと思う人もいるかもしれない。しかしアカデミックな生き方としてはこういうものかもしれない。

Y先生は昨年夏故郷の茅野市で個展を開かれた。私はお元気な先生にお会いできたことを喜んだが、

それ以上にうれしかったのは、例の二十歳の自画像を見ることができたことだ。先生は60年も前の作品を大事に額に入れて保存していられるのだ。素晴らしい絵であることは今も同じだ。

2009年11月30日月曜日

個展が終わる



28日土曜日で今回のるたんでの個展が終了しました。
多くの人に見ていただき、また多くの人と出会うことができ、実りの多い一週間でした。みなさんにあらためて感謝いたします。
ありがとうございました。

2009年11月25日水曜日

個展開催


天気にも恵まれ銀座での個展を開催にこぎつけた。ほんとにいろいろな人に支えられていると思う。東京での暮らしがないのでどうしても知り合いが少ない。当然来てくれる人も少ない、と思っていたら赤津さんの紹介できたよと言ってくれる人たち、新耀展の原さんを中心にした人たち、画廊の中島さんが声をかけてくれた人たち、それに遠路上田から来てくれた夢の庭画廊の小沢さんの奥さん、地元から彫刻の木下イチオさん、等等 初日だけで6~70人になった。顔を知らない人が多いのでなんか心細かったけど話しをすると僕の絵を前から知ってるよなんて言ってもらえて一機にハイになってしまった。『絵描きを殺すにゃおだてりゃいいんだ・・』と思わず心に浮かんだ。

2009年11月14日土曜日

いよいよ個展だ


突然携帯が鳴って、でればFM飯田の平栗さんだった。今度の木曜日の彼女の番組に個展の話をしに来てくれと言う内容だった。うれしい話で『いきます!』と即答した。個展やグループ展の折いつも声をかけてくれるやさしい人だ。いろいろな人にほんとに応援していただいていると実感する。


さて、その個展だがもう来週には、絵を積んで出かけなくてはいけない。もうまな板の鯉なんだから、と思いながらもなんかもやもやしている。


東京の銀座で個展をするのは今回で5回目だ。何らかの成果をものにしたいものだが・・・なんか生臭い思いや たわいもない思いが自分の中で交錯してまたまたもやもやしてしまう。個展が終わったら総括しなきゃーな、と思う。平栗さんの番組で大ぼらを吹いてきますかね。そうしたらきっと開き直るとおもうし・・・

2009年11月8日日曜日

秋深し


秋も深まって里山は紅葉がきれいだ。通勤時 朝もやが上がって陽が差し出すころの色のバリエーションには『ヲーッ!』と思わず声がでる。当然だが早朝は寒さも厳しくなってきてストーブをたきだした。今年はとても楽だ。というのは、去年の冬 ちゃんと薪の準備をしていたからだ。薪ストーブは暖かくて においがいいからもう長く使っているが 燃料がいつも悩みの種なのだ。このごろは薪を売ってるところをちらほら見かけるが、ちょっと前はほんとになかった。なかなか灯油を買うように簡単じゃない。

それがしばらく前の冬から雑木林の木を切って薪を確保することを覚えました。大変な作業なんだけど晴れた冬の日に山で働くのは意外と楽しい。呼吸が深くできるっていうのか気持ちいいのだ。木を切ってタガに薪をつめて運ぶ。それをひと夏乾かす。燃料屋に灯油を買いに行くことと比べたらとてもやる気がなくなるような手間のかかりようだ。実際二三年前までそれでストレスになっていた。時間がたまらなくモッタイナイと感じてしまう。

でも冬の陽の中 かさかさ落ち葉を踏んで薪をつくる時間がうれしい??と感じるようになってほんとにぼちぼち(実に仕事量なんてしれてますが・・)やってます。効率優先の頭を切り替えることが難しい。

2009年11月1日日曜日

展覧会の秋



1975年に画家中村正義を中心に東京展が発足し あの日展と隣りあわせでこの時期開催された。それは反権威、自由出品、無審査というものでとても理想に満ちたものだった。が 現実には作家により 整理された展示室だったり3段から5段掛け展示室だったりと不平等部分をさらけ出した。第二回以降は執行部(東京市民会議)の内部分裂、中村の死などで日本の文化の刷新のイメージはトーンダウンしてしまった。反日展反権威の意識は当時浪人で東京展さえ知らない私にもなんとなく伝わっていた。今でも団体展に気が向かないのはそのあたりから来ていると思う。


このごろの民主党の主張を聞いていると、美術の世界もまた、明治以来の中央集権で、優等生たちが美術を啓蒙しリードしようとしていて、それは官僚による政治に似ていると感じてしまう。それが中村の言う日展なのかもしれない。アートはそれぞれの人たちの生きると言うことと同次元のもので、優等生に教えてもらうもんではないだろう。うまく描けていて、うつくしい、でもそれがどうしたの?と思うような絵ばかりの展覧会に行く気にはなれないよ、と東京から遠く離れた田舎でものおもう。