たけのこの最盛期なのだろう、毎日食卓に上る。いいですね。自分がイノシシかと思うくらい好きであるから 幸せなもんだ。
年老いた両親が三日と開けずたけのこ狩りに出かけているのである。実は山間の我が家は竹林の浸食に悩ませれているのだ。たけのこをこの時期そのままにして居ようものならもう山には入っていけないほど密植してくる。喰うか喰われるか 文字どおり戦いである。
先週の日曜日は妻も鍬をもって動員されたようだ。幸い私は南無展を直前に控えているので動員は免れた。
その代わり展覧会が終われば、田植えや草刈りに 猪突猛進せねばなるまい。・・・
そう 展覧会が立て込んできたが 自然を相手に暮らすのはなかなかまじめでないと務まらない。ちょっとした暗い思いをいだきつつ 気持ちを奮い立たせるこのごろだ。2月頃のやる気の出ない日々に比べれば 「充実」と言っていいのかな。(ジュウジツ・・思えば久しく自分に使ってない言葉だな。)
飯田市のメトロポリスというカラオケ屋さんのギャラリーロビーで作品展示を来月末から7月中までしていただけることとなった。客層が私にとって全く未知なのでたのしみだ、違う自分に出会えるような気がして ハードとは思いつつ展示を決めた。たけのこエネルギーでのりこえるぞ。
2016年4月27日水曜日
2016年4月19日火曜日
南無展’16いよいよ!
実は先月あたりからFacebookを始めました。ただ、pcで楽しんでいるので、スマフォのような機動性はなく、気軽に投稿もしていない。ブログと違ってものすごく会話に近い感じで、シャイな私は若干腰が引けていると思う。
その影響か本家のブログの更新に手がついていなくて反省している。反射的に感じたことを綴るより ちーっと時間をおいて書くブログが気性にあっているのかも・・・
そう、伝えねばならない展覧会二つが近づきその件をアップします。
飯田市立石発 南無展および南無祭。恒例の催し(ライブペインティングやタヒチアンダンスなど)もあり関係者は熱が入ってきたようだ。こうして展覧会を盛り上げていただいていることに感謝、いい結果を残せる展覧会にしたいものだ。いい結果とは・・・シビアな話だが売るということなのである。ここ3年ほど前から画廊オーナーから与えられているテーマなのです。その真剣勝負は避けては通れない真実なのです。…一歩一歩と行くしかありません。
さて、もう一つはミュー自然美術館の個展開催。
5月20日から6月15日まで。南無展の後 田植えをしミューの展示に漕ぎ着ける予定、かなりハードな予定ですが・・・何とかやります!
前のサッカー日本代表の監督オシムさんの言葉に≪ライオンに追われるウサギに足のつるやつはいない。≫というのがあるんです。結構このおじいさんのウンチクは好きなので覚えていますが
真剣勝負は身を育てるんじゃないかと思います。
ダラダラ書いてしまいますが、おじいさん繋がりで
最近はウルグアイの元大統領もいい味出してるなーと感じ入っています。
2016年3月26日土曜日
木下以知夫を悼む
去る22日朝 カテゴライズしてはいけないだろうが〈彫刻家〉木下以知夫さんが66歳で逝った。私にはとてもインパクトのある人物であったので何か語ってみたいと思った・・・。
が、実はとても謎の人物で知らないことばかりであった。
ここ数年は 彼が参加したいくつかの展覧会が会える機会であった。【物】(素材とも作品とも言い換えることは彼は望まなかった。)はボンベなどの廃物鉄で会場での配置のため(配置という言い方も間違っているが。)のインスタレーションはその【物】と彼という肉体(脳もその内)との出会い場であり重要なポイントであった。その素の関係が現れることがアートであったのか。・・・
わかった風の語り口をしても決して理解できるわけもないが、魅力が私にはあった。どこか甘味さと言っていいのかわからないが好きであった。
東日本大震災の年に一緒だった展覧会では鉄片か木片が床にいっぱい散りばめてあり そしてその裏には すべて南無阿弥陀仏と書いてあった。ーーー
ただ話をし始めると難しくなり 私はいつもめんどくささに退散してしまった。今となっては失礼と無理解を詫びたい気持ちでいっぱいだ。・・・仕方がない。
この閉ざされた地方都市で、伝統や常識の柵と戦い 4人の立派な子供を育て、そしてやりたいことを貫いた生き方に本当に敬意を表します。 若すぎだよ、逝くには! 安らかにお休みください。 合掌
が、実はとても謎の人物で知らないことばかりであった。
ここ数年は 彼が参加したいくつかの展覧会が会える機会であった。【物】(素材とも作品とも言い換えることは彼は望まなかった。)はボンベなどの廃物鉄で会場での配置のため(配置という言い方も間違っているが。)のインスタレーションはその【物】と彼という肉体(脳もその内)との出会い場であり重要なポイントであった。その素の関係が現れることがアートであったのか。・・・
わかった風の語り口をしても決して理解できるわけもないが、魅力が私にはあった。どこか甘味さと言っていいのかわからないが好きであった。
東日本大震災の年に一緒だった展覧会では鉄片か木片が床にいっぱい散りばめてあり そしてその裏には すべて南無阿弥陀仏と書いてあった。ーーー
ただ話をし始めると難しくなり 私はいつもめんどくささに退散してしまった。今となっては失礼と無理解を詫びたい気持ちでいっぱいだ。・・・仕方がない。
この閉ざされた地方都市で、伝統や常識の柵と戦い 4人の立派な子供を育て、そしてやりたいことを貫いた生き方に本当に敬意を表します。 若すぎだよ、逝くには! 安らかにお休みください。 合掌
2016年3月22日火曜日
ギャラリー暁 絵を楽しく
ということは当然自分の参加するグループ展の案内状もあまり出さなくなって ちと寂しい・・・
さて、暁展が今週は始まりオープニングに参加した。
参加者達が話すことで気になったことがあるので記してみたい。
それは公募展のことだ。「大きな絵を費用をかけて描いて運んで展示にたどり着いても そこでの成果があまり感じられない。それに大きな絵は どこにも飾れない」というのだ。それに対し暁展のような規模のグループ展なら少ない費用で展示ができ 雑用も少ない。公募展のような固定的な人間関係はなく友達もできて 銀座で楽しい時を過ごせる。・・・
どうも、ここ飯田だけでなくほぼ全国的に美術的老害現象注意報が発令されているんだな・・・。
入選制度と賞味期限の切れた権威に 早く多くの人が見切りをつけて 自分の価値観に自信を持ってもらいたい。そこなんだけど。
2016年3月15日火曜日
ピカソ展 あゝ若き頃
名古屋にてピカソ青・桃の時代展が開かれていて 久々に見に行ってきた。月並みだけどやはりピカソはすごい、ため息だ。よく、半可通の人が 『何事にも基本が大事だ。あのピカソだってデッサンがあるからこそあのような絵が描けるんだ。』というのを聞くが私はそのたびに腹が立つ。確かに彼は幼いころから並外れたデッサン力が身についていた。14歳のデッサンがその早熟ぶりを語っていた。
17~8歳でアカデミアに入学するが そこではもうアカデミックな美術教育に飽き飽きとして 街の中の何かに魅かれ始める。
私はこの辺りの感じが若いころ(美大浪人の時代)やたら共感していた。一所懸命デッサンしてそして何がその先にあるんだろうか?という問いだ。黒田清輝から100年つづく日本の美術教育の末 果たしてどんな美術ヒーローが出たというのだ・・・
私は、若い頃こそ社会に目を向け 自分はどう生きるのかと試行錯誤していくことが大事でそれがアートだと感じていた。だからピカソの18のころの街を放浪する気持ちが解ったし羨ましかった。
私の時代は今よりはまだ社会が隙間だらけだったから ふわーっとしたいい加減な時を過ごすことができたが それでもまともな職に就かないと生きていけないという強迫観念に押しつぶされ ピカソのように(またはその時代のように)奔放には生きられなかった。デカタンの妄想だけだった。
ピカソはその時代の社会の矛盾のようなものを感じ貧しく放浪する人々を描いた。「貧しくても何か光る真実を私は感じることができる」と言っているようだ。まさに恍惚と不安我にありである。ピカソは後にこの青の時代は感傷だけだったと語っているが、しかしアカデミックな技術論の美術ではアートではないと感じて一歩踏み出した若きピカソはすばらしい。その一歩の深い意味を前述の半可通者は解っていないのだ。
そしてピカソはそこから落ちていかず、美術的興味で自身を高みに持っていった。
2016年2月24日水曜日
コンテンポラリー出品者 m君
”現代の創造展コンテンポラリー”投稿の続きですが、一人の作家について書いてみたい。
数年前50人展という展覧会に関わったとき 彼の平面作品に出合った。オレンジ色の抽象画で黒い線がマスクメロンの模様のように入ったクールな作品だった。
コンテンポラリーの参加者を捜していた私は声をかけて参加してもらったのだ。
しかし準備の間は病気になって 弱気な電話をもらったりもした。なかなか難しい出足だった。
第一回の彼の出品作は 最初見たものとは変化していて ふしぎな人物が登場し 星や雲がちりばめられたインスタレーションであった。私は?な感じであった。
次の年は 病欠・・・。
去年は 復帰し ロビーの中央にある倉庫の上のスペースをすべて使ってのインスタレーションをしてもらった。ブルーに塗られた箱には星が描かれごろごろ置かれていた。 ソファが置かれていて何か部屋を感じさせ 一つの空間なのかなと思った。ギャラリートークを聞いたが理解を超えていたな・・・。
今年のものは 会場で見ていただければ、私が言葉を尽くすよりも明確なので、省きたいが 例の青い箱たちが透明なラップシートでくるまれていた。なんと丸2日間かけて黙々と設置したのだ。
正直言って私には?な作品なのだが 何か彼の素朴でピュアな心が現われだした気がして (生意気な表現で恐縮だが ) 作家が育っていると感じている。 この4年間の確実なあゆみではないだろうか。
そして このように 心の奥底の はだかの魂にちょっとでも触れられるのが アートなんだと思う。
今年も2月27日、28日午後1時半からギャラリートークを開催します。皆様のお出でを待っております。作家の生の声を聴いてください。
数年前50人展という展覧会に関わったとき 彼の平面作品に出合った。オレンジ色の抽象画で黒い線がマスクメロンの模様のように入ったクールな作品だった。
コンテンポラリーの参加者を捜していた私は声をかけて参加してもらったのだ。
しかし準備の間は病気になって 弱気な電話をもらったりもした。なかなか難しい出足だった。
第一回の彼の出品作は 最初見たものとは変化していて ふしぎな人物が登場し 星や雲がちりばめられたインスタレーションであった。私は?な感じであった。
次の年は 病欠・・・。
去年は 復帰し ロビーの中央にある倉庫の上のスペースをすべて使ってのインスタレーションをしてもらった。ブルーに塗られた箱には星が描かれごろごろ置かれていた。 ソファが置かれていて何か部屋を感じさせ 一つの空間なのかなと思った。ギャラリートークを聞いたが理解を超えていたな・・・。
今年のものは 会場で見ていただければ、私が言葉を尽くすよりも明確なので、省きたいが 例の青い箱たちが透明なラップシートでくるまれていた。なんと丸2日間かけて黙々と設置したのだ。
正直言って私には?な作品なのだが 何か彼の素朴でピュアな心が現われだした気がして (生意気な表現で恐縮だが ) 作家が育っていると感じている。 この4年間の確実なあゆみではないだろうか。
そして このように 心の奥底の はだかの魂にちょっとでも触れられるのが アートなんだと思う。
今年も2月27日、28日午後1時半からギャラリートークを開催します。皆様のお出でを待っております。作家の生の声を聴いてください。
2016年2月23日火曜日
現代の創造展、コンテンポラリー
コンテンポラリーの展示は 評判が良くうれしい限りだ。
4年目にしてやっと、この展示が信用されたような気がして、立ち上げに関与した人間としては 一安心といったところだ。
そもそも、この展覧会は数年前から マンネリ化、高齢化、が問題となっていた。また、作家選出についても改善の余地が指摘されていた。
しかし、組織が硬直化してなかなか改善に舵を切っていけなかった。その間会長選出で揉めたり、委員会がぎすぎす波風がたったり、重鎮たちが去って行ったり・・・それでも多くの美術団体やジャンルの集まりのため価値観が違いすぎ 全く深い話し合いになっていかなかったのだ。
展示場所も展示室のような閉ざされた空間ではないロビーですることにした、しかも自然光で。(こういった場所を使いたいという洋画家も、日本画家もいなかったので余計にうまく行ったと思う。)
初めの一年 二年は どこまで自由に展示していいのか 自己規制も働いてとても遠慮がち、結果おとなしい空間であったと思う。
若い作家たちも自信がないのかドタキャンさえあった。・・・(事務局のかたには迷惑をかけてしまった。)
しかし、4回目となった今年は 場所にも慣れて 自分たちの表現も自由度を増して堂々とした展覧会場となった。
観覧者の応援も私たちを勇気づけてくれた。毎回アンケートで新鮮さをほめてくれたのだ。うれしかった。それで若い作家たちも育っていったのだと実感している。
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