高校時代からの友人のお母さんが過日亡くなられた。あいにくお葬式には出られなかったので 友人Tとともにお線香をあげに彼の家を訪ねた。道すがら高三のころの話になった。文化祭の盛り上がりの勢いで美術班の数人が5キロほどの道を歩いて彼の家におしかけたのだった。もう暗くなっていたから9時ころではなかったろうか。彼の家の二階に上がりこみ大騒ぎをしたのだ。しかも、一升瓶を友に 女の子もいたと言う。 私はなぜかこの記憶はつい最近まで鮮明ではなかった。たぶん酒に酔ってしまって寝ていたのかもしれない。しかしTはここ十年くらいこの話を時折するので少しずつ思い出して苦笑してしまう。翌日二日酔いの頭を抱えながら彼の家の後方にある大きな谷を眺めていた自分がたしか将来に対する過信と不安のただ中にいたなと思い出した。
彼の家は そういえばあのころのままの大きな二階家で 改めて若気の至りを恐縮した。大きな家はガランとしていて仏壇だけがお母さんの葬式を雰囲気を伝えていた。ここ五年ほどは彼が農業をしながら介護をしていたようでそれからの開放と空虚感がいまの友の姿のようだった。座敷の隣にはもう一つ机がありそこには受験の参考書が積まれてあった。『息子が大学受験なんだ』と言っていた。そうか、あんな馬鹿をやっていたころに息子たちはもうなっているんだ。それにしても今の息子たちがあんなにでたらめでなくて良かったな、と思わず言ってしまった。
2012年8月19日日曜日
2012年8月12日日曜日
アグリッパ
ローマ皇帝アウグストスの副官アグリッパはわれわれにはデッサン用の石膏像として有名であった。中学の美術室にはたいがい備え付けられていたのではないだろうか。紀元前50年ころから300年間(パックスロマーナ)の平和の時代人々は現実主義を生きていたという。たしかにアグリッパの像は写実以外のなんの興味もなさそうで、意志の強そうな軍人の顔つきの表現が爽快だ。また2000年を経たわれわれがその表現を理解できるのも 変な気がする。
そしてその同時代に イスラエルではユダヤ教の中からキリスト教が生まれひたひたとローマに浸透していった。そのころの心を表現した何かに出会いたいと思ったが不勉強なせいかまだない。とここまで書いて 新約聖書がそれそのものではないかという気がした。パオロの手紙とか読んでみよう・・・ちと難しいかな 私には。
アグリッパをわれわれがデッサンした若いころ 目的は物の現実的把握 客観的なものの見方のためであった。その訓練が毎日毎日のデッサンであった。では、その対極にある精神性 または宗教性は何によって高められるのだろうか、前のページでも書いたが ビザンチンを経てロマネスクに至ったキリスト教の壁画にはとても不思議な平和(精神性の高み)がある。パックスロマーナから数百年の所謂暗黒の時代がなにをどうしたのか?
そしてその同時代に イスラエルではユダヤ教の中からキリスト教が生まれひたひたとローマに浸透していった。そのころの心を表現した何かに出会いたいと思ったが不勉強なせいかまだない。とここまで書いて 新約聖書がそれそのものではないかという気がした。パオロの手紙とか読んでみよう・・・ちと難しいかな 私には。
アグリッパをわれわれがデッサンした若いころ 目的は物の現実的把握 客観的なものの見方のためであった。その訓練が毎日毎日のデッサンであった。では、その対極にある精神性 または宗教性は何によって高められるのだろうか、前のページでも書いたが ビザンチンを経てロマネスクに至ったキリスト教の壁画にはとても不思議な平和(精神性の高み)がある。パックスロマーナから数百年の所謂暗黒の時代がなにをどうしたのか?
2012年7月28日土曜日
ビザンチンの美術(ロマネスク)
このごろローマ史の本を読んでいてますます惹かれるのが東ローマ帝国のころの美術だ。それも当時としては片田舎の教会の壁画がなんとも優しく 今の世知辛い時代に対しその世界観が魅力的だとおもうのだ。中学生のいじめとか 放射性廃棄物の問題とか もっと卑近なところではものづくりを謳いあげる中小企業の欺瞞さとか(私の働く環境だけではないはず) それに連日の猛暑・・先が暗く うんざりである。
それにひきかえこのキリストは厳しくもあるがなんとおおらかだろうか。あの時代ゲルマン民族大移動で西ローマは滅びながらその裏ではキリスト教が浸透して行ったのだ。ひとびとを救っていった力がここにあるんだろうか?この絵はアーチスト個人の魅力では全くなくその時代の大きな救いの価値観のようなものが私たちをひきつけるのではないだろうか。
どこかの新聞の写真だったとおもうが 調べて実物を見に行きたいな、とちょっとした希望を持つ今日この頃。
それにひきかえこのキリストは厳しくもあるがなんとおおらかだろうか。あの時代ゲルマン民族大移動で西ローマは滅びながらその裏ではキリスト教が浸透して行ったのだ。ひとびとを救っていった力がここにあるんだろうか?この絵はアーチスト個人の魅力では全くなくその時代の大きな救いの価値観のようなものが私たちをひきつけるのではないだろうか。
どこかの新聞の写真だったとおもうが 調べて実物を見に行きたいな、とちょっとした希望を持つ今日この頃。
2012年7月7日土曜日
arte povera
秋に銀座の画廊るたんで個展を計画中なのだがそのためのパンフレットの原稿がブルガリアから届いた。レッセドラ画廊のギオルギ氏からのものだ。彼が数年前の来日の折 治部坂のミュー自然館で私の個展を見て感動した事を綴ってくれた。1960年代後半にイタリアで提唱され一つのムーブメントとなったArte Poveraの流れとして私の絵を捉えてくれたのだ。 強烈な色彩の絵の具を使って作り上げようとする表現に不自然さや違和感があったわたしには土を使って絵を描くことはさしてアヴァンギャルドなことではなく 自然な成り行きであった。そのあたりの展開はイタリアのアカデミア時代のことであったので自然とアルテポーヴェラの考え方が体に染み込んでいったのかもしれない。事実特別講師としてミケランジェロピストレット、エンリコカステリーニ、ルチャーノファーブロらが来ていたことを思い出す。また友人ヴィートとの二人展で刈ったばかりの草をキャンバスに詰め込んだ彼の作品がわたしにとって大きなショックだったことは以前このブログに書いた。
アルテポーヴェラは日本ではミニマムアートとしての捉え方の方が近いかもしれない。その考えは禅にも通じるところがあるとわたしは考えている。たとえば 茶人が 客を接待するため粗末な小屋に田の泥を塗って壁とし 茶を点てたという。そこにはものに拘らない本質的な一期一会があった。
そんな今では少しロマンチックな考えが私を捉えていて 赤土に入れ込んでいたのだ。ここらあたりの考えが全く会ったこともない異国の紳士に 私の絵を通じて伝わったということは しかも治部坂という日本の奥山の中で 奇跡としか言いようがない!アートは通じるのだ。
昨年暮れブルガリアを訪れ初めて会ったギオルギ氏は旧知の友のようだった。
アルテポーヴェラは日本ではミニマムアートとしての捉え方の方が近いかもしれない。その考えは禅にも通じるところがあるとわたしは考えている。たとえば 茶人が 客を接待するため粗末な小屋に田の泥を塗って壁とし 茶を点てたという。そこにはものに拘らない本質的な一期一会があった。
そんな今では少しロマンチックな考えが私を捉えていて 赤土に入れ込んでいたのだ。ここらあたりの考えが全く会ったこともない異国の紳士に 私の絵を通じて伝わったということは しかも治部坂という日本の奥山の中で 奇跡としか言いようがない!アートは通じるのだ。
昨年暮れブルガリアを訪れ初めて会ったギオルギ氏は旧知の友のようだった。
2012年7月1日日曜日
犬塚邸
飯田市の歴史研が中心になって保存と利用に取り組んでいるそうで 先日築200年の町家『犬塚邸』の見学に誘われた。展覧会の空間にどうだろうというのである。
おもしろい空間ではあるが、いったいどんなことが出来るんだろう。これを相当きれいに磨きこんで現代感覚でリホームすれば 洒落た住空間になるかもしれない。手間も金もかなり要るだろう。
それを中途半端な掃除と思いつきの展覧会では人は来てくれないと思う。 やっぱり人をびっくりさせる空間が作り出せなくては・・・明るさ 昔の人の空間の仕切り方のおもしろさ 手の入った感じ(埃っぽい空き家な感じがないこと)はやっぱり必要最低条件ではないだろうか。 ( むー金がかかってしまうな。)ーーここまで書いて改めてエネルギーについて考え込んでしまった。この家に住んでいた商家はほんのちょっとの電球が明るさの源だったかなー。壁の煤の感じを見ると暖はかまどかいろりだったかもしれない。現代の生活のダイナミズムから考えるとつつましい限りである。あれだけ反対の気運が盛り上がった原発だがあの大飯原発が再始動したようだ。もっと明るくと言いながら足元ではとんでもないものに頼らざるをえないなんて、また無口になってしまう。
2012年6月23日土曜日
展覧会
飯田市の美術博物館で毎年3月おこなわれる現代の創造展については何度か書いてきた。いろいろな考え方生き方の中で発表される作品なので否であろうはずがない。だが、今を生きている人間に何かを語りかけているだろうか?何か新鮮なうったえかけがあるだろうか?感覚の世界なので理論的には進められない話だが私にはそれを意識している作品は少ないと思う。アートはそこが大事なのに。水戸黄門の印籠のような予定調和の作品が多すぎるのではないだろうか。飯田人のリスクを回避する保守性を感じて少し苛立つ思い・・・
さて そんな思いをいだきながら何人かの来年度出品予定者と展示場所を見てまわる。美博のロビーは柱が多くて空間感が限定されている。うまく遊べると楽しくなるのだが、やたら限定的な展示を要求する管理者たちや鑑賞者がいて嫌になってしまう。まあアートはそこのせめぎ合いも表現の一部でもあるのだが。
無理解な人たち90パーセントでも3パーセントの共感者があればそれは『良し』だ。
だが 公共の展覧会としては批判は受けるかもしれない。
弱気になってはいけないぞ!みなみなさま。
写真はこの時期東京の有楽町の交通会館で開催中の新耀展です。そんなにガツガツした作品がなくて私は好きで毎年参加している。比較的年齢層が現代の創造展に似ているが、やはり少しおしゃれかな 作品が・・。
さて そんな思いをいだきながら何人かの来年度出品予定者と展示場所を見てまわる。美博のロビーは柱が多くて空間感が限定されている。うまく遊べると楽しくなるのだが、やたら限定的な展示を要求する管理者たちや鑑賞者がいて嫌になってしまう。まあアートはそこのせめぎ合いも表現の一部でもあるのだが。
無理解な人たち90パーセントでも3パーセントの共感者があればそれは『良し』だ。だが 公共の展覧会としては批判は受けるかもしれない。
弱気になってはいけないぞ!みなみなさま。
写真はこの時期東京の有楽町の交通会館で開催中の新耀展です。そんなにガツガツした作品がなくて私は好きで毎年参加している。比較的年齢層が現代の創造展に似ているが、やはり少しおしゃれかな 作品が・・。
2012年6月9日土曜日
風景のなかに身を置く
上田の夢の庭画廊にここ飯田から行くには岡谷のインターから和田峠を越えていくのが(正確には和田トンネルを潜って行くのだが)一番早い。先月はちょうど若葉の萌える季節だったから何とも美しい景色を車の窓越しに堪能した。なんと無限の緑色なんだろう!長和町辺りの谷は旧中山道で長い時間さえそこには見える。もっともっと味わいたかった。写真を撮ってその感動を固定したい(留めたい)と思ったが撮った写真は何とも違っていて不満だった。ゆっくり写生でもしてみたいと思った。そんな時東山魁夷的な日本画の抒情感も同感できた。静で崇高な気分にもなる。
一般の人々が風景画を好むのも納得する。とても素直な気持ちだ。
以前友人に『なぜ風景画を描かないの?』と聞かれたことがある。・・・む・・ 未だに的確に答えられない。写真に撮っても風景の中にあの感動が封じ込めれないという無念感が絵を描いてもあるのかもしれない。あの感動はその時期の自然の中に入って行ってこそ得られるものとなかば諦めている。
そして 微かに思っているのは 自然に対する感動は崇高で 自分の暮らしや生き方を問題にすることが嫌になってしまう。逆に言えば 自分の生きる次元での問題意識をテーマにして絵を描いている自分にはあまりに飛躍しすぎて 自然を描くことはそれこそ絵空事に思えてしまうのかもしれない。
なぜなら自然が美しいのは だれもが認めることだから。
一般の人々が風景画を好むのも納得する。とても素直な気持ちだ。
以前友人に『なぜ風景画を描かないの?』と聞かれたことがある。・・・む・・ 未だに的確に答えられない。写真に撮っても風景の中にあの感動が封じ込めれないという無念感が絵を描いてもあるのかもしれない。あの感動はその時期の自然の中に入って行ってこそ得られるものとなかば諦めている。
そして 微かに思っているのは 自然に対する感動は崇高で 自分の暮らしや生き方を問題にすることが嫌になってしまう。逆に言えば 自分の生きる次元での問題意識をテーマにして絵を描いている自分にはあまりに飛躍しすぎて 自然を描くことはそれこそ絵空事に思えてしまうのかもしれない。
なぜなら自然が美しいのは だれもが認めることだから。
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