2013年8月31日土曜日

キラキラ レインボーに輝くCD

デジタル関係の道具は日々増加している。それは確かに便利ではあるが私自身が置き去りにされている感じもある。
また これは一般論だが今の50歳か~60歳の世代の次の世代はいろいろな組織にあまり組みしようとしていないと感じる。例えば隣組の自治会とか 農業関係の組織とか 公募団体、わたしもこれらの組織の持つ意義には若いころから抵抗してきたが いよいよこの頃はそれさえ考えず参加などありえないという世代になってきたように思える。
言葉は 母から教わり 気がつけばその母とも口論が出来るほどになる。しかし他の表現方法は習得に苦労がいって、ピアノや歌などは先生につかなくてはなかなか身につかない。工芸の技術もそうだろう。所謂弟子入りの形態だ。しかしこれは人間関係がとても濃厚で精神的には中世的修行なので技術こそ素晴らしいが今はあまり考えられない。学校がそれに代わった。師弟の関係も少しは距離が保たれ 女性も進出できるようになった。しかし組織化がおこり
平面領域展:犬塚邸会場
妙な権威主義のおまけもついてしまった。・・・
ここでデジタル世界の登場である。もう初歩の人も仰ぐべき師がいなくてもパソコンさえあれば何か出来る、ということになった。下積みという概念は無くなったかもしれない。一人でしかもオリジナルの世界を作れるとしたらめんどうな人間関係に首をつっかまなくてもいいというわけなのだ。
私には このデジタルの世界がまだまだ外国語なのでここで世界を作るということはマズない。今まではむしろ批判的にアナログな絵(土の絵)を描いていた。だが、これからは身近に考えていかなければいけない世界になっていく。・・・平面領域展原隆夫氏の虹色に輝くCDの作品を思い出しながら考えた。

2013年8月27日火曜日

第4回平面領域展始まる

雑念の中で私の「平面領域展」が始まった。自分の思いを突っ込んで突っ込んでいくことがひとつの方向性といつごろからか思い込んでいたが、空回りしてるな、ともうすうす思っていた。今年の春ころからのコプトシリーズが転機になってほしいなと考え今回の展示に臨んだ。
明るくなった、とか言い切りができたとか、嬉しい評価をもらえてとても喜んでいる。それまでは全く筆が進まなかったんだから天と地ほど心持は変わってしまった。
実は 「これらの絵は ある到達点に来ているから筆を入れてはならない」という思いもあった。自信もさしてなく、昔からの思い込みで(描き込まなくてはいけない)不安ばかりの日々が展覧会の前一ヶ月間続いた。
まあ、__『ごちゃごちゃと黒くなるほど手を入れれば思いは表現できるんだ』という思想は間違えである__肝に銘じたいもんだ。

2013年8月17日土曜日

夏のばら

今年の夏はほんとに暑くてつらいな、と嘆く日々である。でもつらいのは実は展覧会を前にした憂鬱であるとも気がついている。
昔から自分の絵が[所謂世の中から]認められたいと切望していた。しかしこの歳になると それはちょっと現実離れした夢ではないかとわかり始めるに至る。だって日本では百人足らずの絵描きしか絵では喰って行けないそうだから。ちなみに文筆家は50人余だそうである。あれだけ毎年芥川賞や直木賞やらで新人が華々しくデビューしてるのに・・・
今年に入ってから そんな気分だから『好きな絵を描いていけばいいじゃあないか』とわりとゆるく構えて絵を描いていた。ところがここのところ全く筆が進まないのだ。根が真面目な私は何ともすっきりしない日々となってしまった。 自分の中で[所謂いい絵]という価値観が頭を擡げてきてしまったのだろう。自分の作品は汚くて 弱くて云々・・は許せないと自分を縛り始めたというわけだ。こういう葛藤は「今さら何を言ってんだ」感がいっぱいだが 今さら悩まされる。大事なとこだけ見てればいいんだよ 怠惰でもいいんだよ と自分に言い聞かせ久しぶりに筆を持つ。ばらの色にいやされる。

2013年8月10日土曜日

平面領域展近づく

ビエンナーレ形式のこの展覧会は今年が開催年だ。なんか早いなー、もう二年たつんだから。今月24日から9月1日まで、飯田創造館と今年は松尾の犬塚邸、および中央通の吾亦紅でも開催となる。いつものメンバーなので、殆ど桐生さん任せで「後は展示のとき会いましょう」、という感じである。いいのかなーと思う反面 あまり揉めなくてらくだ。
いいのかなーって感じるのは 当初は現代美術をもっと知って貰いたい、という意識が強かったので「みんなでちょっとした風を起そうぜ」なんて意気込んでいた。・・もうぼつぼつ10年の時が流れるのかなー、飯田の文化意識は菱田春草に代表されるような近代好きで アートというより書画骨董系のファンが多かった。だから鑑賞のテーマは『安定』、『調和』、『美』が基本。 不安定な心を表現する といった考えは敬遠されてきた。例えば山本弘の手法は現代美術ではないが受け入れられなかった。日展系日本画が主流だったといえよう。だから絵を学ぼうという人たちも形から入ってそれでよしとしているように見えてならなかった。
私たちは 今この飯田に生きていてこんな思いで暮らしているんだといった心持を表現してみた。それは全く『調和』でもなければ『安定』でもない、所在無い一人間の悲しさみたいなものだ。この表現にどう反応してくれるかが(ありきたりの美にありきたりの感動するのではなく) 現代美術のひとつの基本的な形ではないかと考えてこの展覧会を始めたと私は考えている。
決して私たちのやっていることが新しいことだから田舎で発表しているんだとは全く思ってはいない。例えば私が挑戦している抽象画は すでにその抽象性がゆえに「何がなんだかわからん」とか「描きたいものを描いてなぜ悪い」とか批判を受け絵画の危機といわれるに至った。そして登場したのが奈良美智や村上隆たちだ。・・・そんな世代がちょっと倦怠期のこの展覧会にも参加してほしいものだ。