2016年1月23日土曜日

Botticelli

雪のため 今週はいささか混乱の週であった。
ギャラリー暁の搬入を18日月曜日朝に予定して出かけたのだが、バスが運休!諏訪からアズサに乗ろうと動き出したが、中央線も不通となってしまった。展示用の作品を抱えて途方に暮れた朝だった。
足掻いた末に名古屋から新幹線に乗ることにした。どうにか画廊に午後たどり着いたが全く高くついてしまった。
当然その日は帰れず、翌日の帰郷を考えたが、火曜日もバスはなかなか運休が解除されなかった。
前置きが長くなったが、そんなわけで、火曜日はゆっくりボッティチェッリ展の鑑賞と あいなったのだ。

1400年代後半のフィレンツェはまさに人類美術の奇跡の時代だ。
生きることに必死な(生き死にが隣り合わせだった)時代が徐々に和らぎ、美しいもの 人間が考えられること そしておいしいことに興味を示せるようになったのだ。宗教の厳しい教義から解き放たれようとしていたのだ。
ボッティチェリはその時代の表現者の代表格。
彼の聖母子像は 神に対する敬虔な姿勢と人間的な美意識が本当にバランスよく同居していると思う。たとえ「ビーナス誕生」のようにキリスト教には異教徒の作品でも形而下の世界ではないすがすがしい精神性がある。
1500年代以降になるとイタリア美術の聖母子像は 単に〝きれいなお母さんと美しい子供″の絵になってしまい、神々しさはあまり感じられなくなっている。・・・
西洋文化に影響を受けた今の時代は その神々しさを敬う心とか、神に対する畏怖の心とか そういった ある意味 不思議な豊かさ感がわからなくなっているのではないだろうか?
ボッティチェリは 中世の世界から形而下の世界へ来た時代の表現者。----いま私たちは物質世界の洪水の中にいて 神を敬うような豊かな心を持つ世界に (ボッティチェリとは真逆の方向へ)帰れなくなっているような気がしてしまう。 
心の乗るバスは本当に運休で帰れないんだろうか・・・
あのボッティチェリさえも 晩年は享楽の半生を省みて 「マグダナのマリア」とか「洗礼者ヨハネ」とか描いて 魂の救済を求めている。・・・

2016年1月15日金曜日

展覧会のお知らせ

本年度初の展覧会が銀座のギャラリー暁で来週始まる。評論家赤津氏の企画するグループ展で「今日は明日の表現展」というタイトル、 参加者は20人です。メキシコ遠征組から何人か参加しているので何人かは顔見知り・・安心と言ったところかな。

この時期はどうしても「飯田」を意識した作品になってしまう。30号程度の大きさと、小品を月曜日にバスで運びます。オープニングには懐かしい友人も会えるかもしれないので楽しみにしています。

2016年1月8日金曜日

やる気 意識の高さ

昨年の秋以降 展覧会が一段落すると急にやる気がなくなってしまった。このままじゃーまずいなと思いながらもなかなか心の中は動かず、ずるずると正月休みに入ってしまった。
そこで久々に親戚の子供にあった。・・否、子供では最早ない25歳の青年であったが、私の中では悩めるハイティーンであった。
10年ほど前、中学生であった彼は同級生からのいじめにあい、そのまま引きこもりになってしまったのだ。ただただ漫画やゲームに明け暮れ悶々と部屋に閉じこもっていた。親も何とか学校に行かせようとしたがむなしく日々が流れていったようだ。相談を受けたのだが私とて為すすべはなかった。彼の中は全くと言っていいほど意欲がゼロであった。自分の立ち位置を意識できない若しくはしない状態だったのだ。・・・何年かして(その間 高校受験の失敗やらいろいろあっが、) 彼は美容師になる学校に行くと突然言い出し そしてやっと家を出た。・・・・
それから3年程して 彼に会ったが、両手はひび割れだらけで赤く腫れ何とも痛ましかった。思わず「大丈夫なのか?」と問うと 答えは「今 自分を失うわけにはいかない!」だった。
今年会った彼は 自分の店を出せるように頑張っていると自信いっぱいで話してくれた。あの頃の自信のなさから考えるとまるで別人で 近くの人さえ威圧するような意識の高さだ。 やる気がなくダラダラしていた私は全く恥ずかしい大人であった。
思うに 人は弱い人間と強い人間に別れるのではなくて 弱い時と強い時があるのではないだろうか。弱い時は静かに自然に抱かれてゆっくり暮らすのがいいと思う。私は二十歳頃の挫折真っただ中の日々を思い出した。確かあの頃も田舎に帰って近くの里山を歩いたり、山仕事をしたりした。誰もいない、都会のルールもこの長閑さには入り込めない、そんな安心感が私は好きだったのだ。
そして 今年も私は、裏山に出かけて恒例のストーブの薪のために木こりのまねごとをするのだ。私の誇りは田舎人なのだ。