2018年8月25日土曜日

第一ラウンド、kurano展



怒涛の5日間、kuranoでの展示が終了しました。素晴らしい会場で私の絵にうまくマッチしてくれたようだ。150人を超える来場者があったことは、飯田の地では珍しいことだとおもう。さらに、高校の同期の諸氏がつぎつぎに訪れてくれ 応援の声をかけてくれたことについては、かつて不義理を重ねていた身にとりなんとも肩身の狭い思いも感じつつ、広い心のみんなに感謝を心底したい思いだ。


2018年8月2日木曜日

南信州新聞に記事


いよいよ10日ほどで個展が始まる。この酷暑を言い訳にのらりくらりとしていたが、もう動かないとやばい。
それにつけても
友人たちが応援してくれるのはうれしい。一昔前は 「一人でがんばるんだ」と息巻いていたが やっとみんなの応援がわかるようになった。周りが見えてきたのだろう。
家族や隣人そして友人たち・・・ あの人もこの人も顔が浮かぶ。
新聞記事を出してくれた友がいる。もう20年余り前から中村壁を一緒に研究したM氏、この度の経緯を細かく書いてくれた。(汚い私のアトリエさえ見に来てくれた!)
日本のしかも45年も前 油絵(=西洋美術)を学び始めた私が 日本を考え ヨーロッパを見、そして再び日本を意識して 絵を描いてきたが そことは明らかに異なる根を持つ美術に接したのは たしか二十数年まえ 一人でニューヨーク旅行をし メトロポリタン美術館で古代マヤの彫刻を見た時だった。
以来”?”をどこかに抱えて美術活動をしてきが、いよいよこの秋 そこに行って それを感じることができるはずだ。
あの底知れぬエネルギーとおそらく優しさとは異なる厳しさ、迫力。
そこに近づくための 気持ちを高める個展になるだろうか。しなくてはいけない。

2018年7月26日木曜日

KURANOの初日にJazz

8月15日にオープンする展覧会場kuranoで、ジャズコンサートが入ってくれた!まあなんと素晴らしいことだろう。  実はkuranoは1階がレストランで2階が展示スペース、そして一部が吹き抜け状になっているのだ。
偶然にも階下で キクスイ酒造の試飲会とジャズコンサートが開かれることになり不思議なジョイント?が実現となったのだ。
ニューヨークからのジャズギタリストによるコンサートのバックに私の絵も展示できそう・・・。
どんな空間を演出できるか、うれしい気持ちでいっぱいです。
試飲会場は前売り券による入場だけど、2階は私の展示場なので一応ただ!それをちょっぴり吹き抜けで楽しむことができるでしょう。この夜は9時まで開けてますので、夕涼みがてらお出かけください。


2018年7月5日木曜日

メキシコ遠征宣言展

こともあろうに こんな大それたタイトルをつけて展覧会をするのどうかと思うでしょう・・・
この11月ついに、メキシコ チアパス州のサンクリストバルで個展を開くことにいたしました。
ここまでの経緯を話しますと; 4年前の銀座ギャルリー志門さんでの個展で チアパス芸術交流会の方から翌年開催の「和の心とかたち」への参加を誘われたことから始まりました。嬉しくて二つ返事で参加を決めたのですが、作品の移送問題、家庭の事情(娘が大学受験を控えていた)、第一に金銭的不如意!で渡墨は叶いませんでした。やむなく作品のみ大きな筒巻きで 参加者の一人にもっていってもらいました。そして展覧会はかなりの反響だったとのことです。
昨年5月には、むこうで協力いただいたメキシコ作家たちの「Akio Hanafujiとチアパスの画家たち展」を横浜で開催し わたしは助成金申請や展示のお手伝いをしました。その折、メキシコ在45年の作家花藤昭雄氏に会い(見た目はメキシコ原住民作家、マジ思いました!)、強くメキシコでの個展を勧められました。チアパス交流会の方々にも なんか乗せられる形で勧められ とうとう決意をしました。
ただ・・・手元不如意の件は一向に解決していなく困っていたのですが、地元飯田の多くの友人が協力していただけると聞きまして 今度はその覚悟を皆様に見て頂かなくてはなりません!のです。
というわけで来月、DMにあるように、KURANOというスペースと 吾亦紅で個展を開催致します。何卒宜しくお願い致します。

2018年6月21日木曜日

16th 新耀展

この時期は 有楽町の交通会館で新耀展が開催される。搬入日とオープニングがことなる日のためなかなか上京出来ず よくてもどちらかの参加になってしまう。ましてやこの時期は梅雨の雨間に草刈りなど重労働もあるし、田植え後の稲も心配・・・(実は にわか農業者の私にはそんな心配さえ 以前は持ったことはなかったのだが、昨年この時期に 手を抜いて 田んぼが雑草だらけになり 秋の稲刈りに苦労しのだ。)
さて、その話はともかく、今年はある計画(メキシコ遠征展)を企んでいるので どうしても会っておかなくてはならないメキシコの方が来日している先週土曜日 東京に出かけた。翌日は新耀展搬入日、そして月曜はそのオープニング、とうとう長逗留になってしまったわけだ。
メキシコ遠征の方は いろいろな方々の協力で少しづつ形が見えてきたので、また改めて書きます。
新耀展は もう16回にもなるようで初期メンバーがお病気だったり お年を召したりで雰囲気がちょっと変わろうとしている気がする。会場の交通会館も周りのおしゃれな建物と比べ大分古くなってきて 建て替えもありうる感じだ。会の一人が「昔 よく孫を連れてこの上のレストランに来たもの。そこはレストラン自体がゆっくり回って展望を楽しめて 新幹線の通過がすぐそこで見られたのよ。もう一回もう一回と回るのを楽しんでいた孫も大きくなってもう一緒に来ることもないかしら・・」といっていた。
絵を描くことを楽しんで 人生を豊かにしていくそんな取り組みはいいものだ。
僕のように「如何に絵はあるべきかな」なんて重く引きずるのもどうかと感じる瞬間だ。
新耀展はいろいろな取り組み方をしている人の年1回の展示会、会ってお話しするのは楽しいし貴重だ。大事にしていきたい。

2018年5月24日木曜日

とうとう見ました草間展

私のようなインチキ農業者にとっても田植えは重要で、やっとそのけりをこの月曜日つけることができました。 松本の草間彌生展にいよいよ行くとき!と断言し、昨日行ってまいりました。
やはり、このアーチストは自ら「前衛芸術家」というだけのことはあり すばらしい。
よく言われることに、若い頃から幻覚があったというが(あの水玉の原点)辛い孤独な時代だったのだろう。毎日自殺を考えていたという。ただ 絵に向かうとそれとは違う世界が彼女の中にはできる。ものすごい集中が彼女を生に繋げた。
アートは自分の世界を作ってくれる、今生きている社会とは異なった価値観で。――
どんなに生き辛い世でも、人間の空間を展開してくれる。たぶん生への無意識がアメーバーが形を変えながら増殖の方向を探るように 息するところを作る。
そんな生き様を見せてくれている。さすがに全世界にファンがいるアーチストだ。まさしく前衛=世の先を行く、である。
ただ、遠いところの人としてみるのじゃなくて、社会からの疎外感が 違う価値観を自分の中に見出す一つの機会と考えることはとても示唆に満ちている思う。
 そして私が感動するのは、社会の価値観に媚びず(彼女にはその具体策などなかったに違いない)作品を作り続けた生涯作家ということだ。すごい集中力で今も大作を描き続けている。
日本はまだまだ功利主義や機能主義、社会の中の個人といった縛りの強い社会だ。若者がいや、もはや中年さえも社会から疎外感を受けて引きこもりなど孤立してしまっている。全体が違う価値観の存在を認めないんだな!
そう思うせいか、この展覧会を見に来る人に意外に40代50代60代の男性が少ない。社会の歯車として生きている人には、「ひく~・・・」展覧会なんだろうか? はたまた忙しくて草間展まで来れないのか・・・


2018年5月12日土曜日

1968年

68年という年はわたしにとって、一言では括れない年だ。
私は田舎の中学3年生で 外からの情報はテレビと夜時々聞くラジオくらいだっただろうか。地方新聞は家に来ていたが、読んでいたとは思えない。
熱いエネルギーはそれでもどこか私のなかで影響を受けていた。
昨日朝日新聞のコラム佐伯啓思氏の「異論のススメ」を読んで改めてあのころを思った。
「全共闘」については、全くよくわかっていなかったが、権威主義的なもの、資本主義で組織主義的なものには感覚的拒否反応が私の中で育っていったのはこのころの産物だろう。
刺激的な時代だった。東大の入試が中止された年が高1だったか?三島の割腹自殺も冬の日差しが差す(我々がスラム街と呼んでいた)高校文化部部室群前の芝生の上で聞いた。みな、その意味も捉えられずにポカーンと聞いた。大学受験の直前には浅間山荘事件がテレビで生中継されていて、受験で泊めてもらっていた親戚の居間で見た。
確かに、若者が「何か変えよう」とした熱はみるみる萎えていってしまった。
“しらけ”と当時言ったが、オイルショックと共に時代は 現実に立ち向う方向に確かに変わっていった。あのころ長らく工事中だった横浜の駅の地下街が急にきれいになって戸惑ったものだ。エミリオ・グレコの彫刻が置かれていて 自分も変わらなくては・・とどこかで思った。
≪何かを置き去りにしたが、甘さのも欲しかった≫という感覚が当時の私にはある。芸大浪人3年の頃であった。