2018年5月24日木曜日

とうとう見ました草間展

私のようなインチキ農業者にとっても田植えは重要で、やっとそのけりをこの月曜日つけることができました。 松本の草間彌生展にいよいよ行くとき!と断言し、昨日行ってまいりました。
やはり、このアーチストは自ら「前衛芸術家」というだけのことはあり すばらしい。
よく言われることに、若い頃から幻覚があったというが(あの水玉の原点)辛い孤独な時代だったのだろう。毎日自殺を考えていたという。ただ 絵に向かうとそれとは違う世界が彼女の中にはできる。ものすごい集中が彼女を生に繋げた。
アートは自分の世界を作ってくれる、今生きている社会とは異なった価値観で。――
どんなに生き辛い世でも、人間の空間を展開してくれる。たぶん生への無意識がアメーバーが形を変えながら増殖の方向を探るように 息するところを作る。
そんな生き様を見せてくれている。さすがに全世界にファンがいるアーチストだ。まさしく前衛=世の先を行く、である。
ただ、遠いところの人としてみるのじゃなくて、社会からの疎外感が 違う価値観を自分の中に見出す一つの機会と考えることはとても示唆に満ちている思う。
 そして私が感動するのは、社会の価値観に媚びず(彼女にはその具体策などなかったに違いない)作品を作り続けた生涯作家ということだ。すごい集中力で今も大作を描き続けている。
日本はまだまだ功利主義や機能主義、社会の中の個人といった縛りの強い社会だ。若者がいや、もはや中年さえも社会から疎外感を受けて引きこもりなど孤立してしまっている。全体が違う価値観の存在を認めないんだな!
そう思うせいか、この展覧会を見に来る人に意外に40代50代60代の男性が少ない。社会の歯車として生きている人には、「ひく~・・・」展覧会なんだろうか? はたまた忙しくて草間展まで来れないのか・・・


2018年5月12日土曜日

1968年

68年という年はわたしにとって、一言では括れない年だ。
私は田舎の中学3年生で 外からの情報はテレビと夜時々聞くラジオくらいだっただろうか。地方新聞は家に来ていたが、読んでいたとは思えない。
熱いエネルギーはそれでもどこか私のなかで影響を受けていた。
昨日朝日新聞のコラム佐伯啓思氏の「異論のススメ」を読んで改めてあのころを思った。
「全共闘」については、全くよくわかっていなかったが、権威主義的なもの、資本主義で組織主義的なものには感覚的拒否反応が私の中で育っていったのはこのころの産物だろう。
刺激的な時代だった。東大の入試が中止された年が高1だったか?三島の割腹自殺も冬の日差しが差す(我々がスラム街と呼んでいた)高校文化部部室群前の芝生の上で聞いた。みな、その意味も捉えられずにポカーンと聞いた。大学受験の直前には浅間山荘事件がテレビで生中継されていて、受験で泊めてもらっていた親戚の居間で見た。
確かに、若者が「何か変えよう」とした熱はみるみる萎えていってしまった。
“しらけ”と当時言ったが、オイルショックと共に時代は 現実に立ち向う方向に確かに変わっていった。あのころ長らく工事中だった横浜の駅の地下街が急にきれいになって戸惑ったものだ。エミリオ・グレコの彫刻が置かれていて 自分も変わらなくては・・とどこかで思った。
≪何かを置き去りにしたが、甘さのも欲しかった≫という感覚が当時の私にはある。芸大浪人3年の頃であった。




2018年5月7日月曜日

客寄せパンダ

立石の南無3人展が昨日で終了しました。多くの皆様に訪れていただき 深く
感謝いたします。
前回のページでも書きましたが、オーナーの伊東氏やその友人である地元立石の有志の方々のご尽力で、多くの方々に来ていただいていたことを今回はつくづく感じました。
毎回、『南無祭』と名付けてイベントを企画し多数のイベンターを(自費で)呼んでくれて盛り上げてくれました。三味線グループ、和太鼓集団、フォークグループ、タヒチアンダンス、etc・・・楽しいご苦労さん会が毎回ほんとに楽しみでした。
ところが、オーナーがお持ちの会社を 若手にお譲りになってから、そう簡単にイベント代を賄う形にはいかず、今年が最後ということとなったようです。
私としては、そのイベントには全く関わらず、もっぱら展示のみ、・・・というわけにもさすがに行かなくなり、とうとうライブペインティングという“客寄せパンダ”に挑戦することにしました。
前の晩は、正直緊張で ろくに眠れませんでした。(約5時間は寝た)
直前のステージがタヒチアンダンスのステージだったので、その強烈な印象を、1.5mx5mのパネルに、三味線の演奏を聴きながら(ゼンゼン自分には聞こえてなかったけど)一気に描きました。30分くらいでしょうか。
なぜか受けて、結果上々の雰囲気で終わることができました。
普段見る私の絵とは ずいぶん違うらしく、その落差が良かったとの評でした。
僕としては、初めての経験で その緊張感こそが現場力となって 妙味付けになったかなと思っています。
まあ、もうやりたくない。