2019年4月1日月曜日

抽象と具象

ひょんなことからパソコンのデータを消失してしまって、しばらくこのページに戻ってこられませんでした。
もうブログもいいかとも考えたのですが、やっぱり たまには文書で頭の中を整理したくなっても来るので・・


2月に赤津侃氏企画の「個の屹立展」9thに続いて4月の10thにもご依頼をいただいたので 春の華やかなところに行きたくなり 本日作品を梱包した。





今回は抽象性がやや希薄な作品になった。なんかこの頃 抽象的な世界に入っていくも


どうも進展がそこからないのだ!もしくは深まりがない!もっと端的にいうと“飽き”・・?といった不満感が漂うのかな。
〈写真左は第9回展の「筋」で右は第10回展の「崖と静物」少しばかり具象性に近づけた作品です。〉
絵は ある意味スイッチを入れてみないと 見えるものが見えてこない。そのスイッチは自分の意識がコントロールしているはずだが 見ると同時にスイッチの入る絵がある、それは感動的な他人の絵に出合った時だったりする。自分の絵ではしばらくぶりに見るときくらいしか起きないかな。
マークロスコを見ると時間を忘れる、しかし全然とっかかりなくスルーしてしまう作家もある。その差には作品の質(クオリティ)の問題もあるが見る側の好みや鑑賞のこころ具合も大きい。
たとえば龍安寺の石庭に宇宙を感じるには 心の余裕と自由な発想のあそびがいる。ところがトイレに行きたかったり 周りがうるさかったり かえりの旅が心配だったりすれば宇宙どころじゃあない。見えるものも見えてこないだろう。
どうも いま(自分だけの問題なのか)ひろがりのある宇宙を感じにくい。
卑近な現実に興味があって 未来とか宇宙とか形而上の想像力が貧弱になっているのだろうか・・・