2017年3月26日日曜日

野田哲也展in飯田

野田哲也という作家のコレクターがここ飯田にいるとは知らなかった。版画家北野敏美氏の友人がいっぱい持っていたようで 今回そのコレクション展が開催された。そして驚いた。若い頃よく見て ちょっと気にかかっていた作品群だったのだ。
結婚式の家族写真を白抜きにして人物に名前を記した記録物のような作品だった。そこには情感などなく空っぽの感じで 当時の私は面食らった。そうか、これがヨーロッパで賞を受けた作品なのか・・・
一生懸命作品の内なる意味を見出そうとした思い出がある。
池田満寿夫と同時代の版画家で結構ヒーローだった人なのだ。
芸大浪人だった当時の私には 「芸大を3浪しても入れなかった池田満寿夫がベネツィアで大賞を取った後 芸大に講演に呼ばれ 喜んで行った。」という逸話が聞こえてきてなぜか留飲を下げた思い出がある。しかしその当時そこの芸大で助教授をしていたのが野田氏ということのようだった。今から思えば版画の分野は結構国際化が進んでいたんだな。
さて、野田氏本人の語ってくれたトークショウはとても面白く笑ってしまった。巧みな話し手であった。しかし 昔感じたあの空っぽな不思議感はなくて ほんとに何もないのかも、とも感じてしまった。日記(記録)として放り出された作品の冷たさが魅力なのか・・・。
4月1日加筆ーー
空っぽな不思議観について 若い頃はあまり理解できなかったが、このごろ(40年を経て)少しわかった気がしてきたので それを書いてみます。
海辺で佇む父と幼い娘のシルエット写真を基にしたシルクスクリーン作品を思い出して;写真の風景は海以外は白く切り取られていた。人間の孤独というか寂しさという感じが伝わってきたけど、それ以上に人に対する空虚さ、作品つくりに対する関りの薄さが気になっていた。写真を使うという手法がそう強く感じさせたのだ。あの頃はまだまだパソコンなんかなく もちろん携帯もない。デジタル社会の到来さえ予想できない社会だった。ベトナム戦争が終わり 連合赤軍が世の中を騒がせていた熱い時代だ。人の尊厳みたいなものが 数値で語られる世の中の到来を予感させていたのであろうか?激しい時代の終焉を 無意識のうちに表現していたのだろう。--

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