2017年11月29日水曜日

現代美術といわゆる“左翼“

先週 静かに開催していた平面領域展が閉幕した。原さん、桐生さんら中心に4~5人で2年おきに開催して 今回7回目であった。だからもう14年になる。初めの頃は若かったこともあって妙に反骨の思いで開催していたが この頃はそれこそ静かなものでフェードアウトが心配である。
「街ゼミ」参加の企画がこの展覧会中にあり 私は会場の一つ”犬塚画廊”で 初歩の現代美術鑑賞というミニゼミらしきものを仰せつかり、開催した。とかく現代美術は難解で敬遠されがちということで 少しでも一般の方とその距離を縮めようというものだ。
しかし 状況は複雑に屈折しているようだ。
「アバンギャルド(=前衛)」といえば現代美術の刺激的でちょっと懐かしい言葉だが、私の若い頃 左翼全盛で ≪日常の常識を無自覚に受け入れてはいけない!高い意識で生きろ!さもないと古い権威主義に陥るぞ≫と言われていたような気がする。誰に?・・よくわからないが社会に言われていた。
確かに 小難しい理屈を振りかざすゲイジュツがこの頃多かったし 我々も困ってた・・・
それがバブルの頃からか 急に何かが変わって 「何をそんな難しいこと言ってんの?」「まったく意味ない!」となってしまった。
日曜日の朝、結構見ていたTV番組で『関口宏のサンデーモーニング』があるが この間ネットでこの番組を 団塊世代の 左翼生き残りのための番組と言っていた。どうもバブル期ころから 「現実をどうやって生きるか」というテーマに社会が変わってしまって 「現実をどうすべきか」は全くの抽象論 どうでもいいことなのかもしれない。
だから抽象的な 議論は嫌われてしまうし、私もなんだかだんだん面倒くさくなってきた気もしてしまう。
事実 現代美術も 観念的なアートは少なくなり、気分発散系や視覚的においしい系やマンガ系が人気だ。ホワホワして幼稚ともいえる。・・・
結局 そのゼミは、5~6人中2人くらいの方が 抽象絵画のほうが好きですと言ってくれて 私は晴れて終了に至った。硬い左翼思想を担ぎ続ける気迫もないが アートの根本はやっぱり真摯な生きる姿勢だと思うしかない。

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