2010年1月11日月曜日

デッサン その2


明治のころの絵で 西洋的空間解釈で源平合戦の一シーンを描いた絵がある。なんとも奇妙で見るに耐えない。西洋でもバロック以降の 宗教画やギリシャ神話の絵も私にはつまらない。現実の空間に神々が描かれてもただの人物にしか見えないのだ。どんなに光が当たっていてもこうごうしさはうわっすべりしているように感じてしまう。よっぽどジヨットのフレスコ画のほうがありがたさがあると思う。
近代の理性主義は、物理的空間の中の存在というものに真理があると考え、遠近法を生んだ。そして卑近なところでは私たちの学んだデッサン法になり、ものの見方を美術を学ぶものに教えた。
しかし 日本の幽玄のような美意識は西洋的デッサン法では表現できない。いや幽玄だけではない。理性的な空間意識では なんかココロ的なものに近づけないのだ。そのあたりに気づき始めたのは ゴッホやゴーギャンで、日本画の平面的な表現の中に 理論の帰結してしまった西洋画の突破口を見いたしたかったのかもしれない。そしてそれがコンテンポラリーの始まりなのだ。

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