2018年10月25日木曜日

Finalmente ire a Mexico!

昨年来の計画が いよいよ実現しそうな時が来た。メキシコで個展を開催しようと思い立ち、さまざまな人たちに応援され 励まされ 一年が過ぎた。
昨年5月の横浜でのメキシコ交流展で 初めて在メキシコ45年の日本人作家Akio花藤さんに出合い そしてその人柄に触れて やっとこの個展に踏み切ることができたのだ。
絵の運送方法やら、向こうでの会場準備、招待について等々・・一人ではとても考えれないことだった。
さて その後地元では 多くの人に応援していただき資金調達ができたのは ここで触れておきたいし 深く礼を言いたい。
春の南無展(立石のギャラリー南無)に始まり、夏のKURANO 吾亦紅 の会場には
中学の同級生や 高校の同級生が訪れて 買ってくれたのだ。本当に絵描きには力になる現実だ!
正直 こんなに大ぶろしきを広げず そっと行った方が気が楽だなんて思った時期もあったが それは大きな間違いだった。友に助けられ その覚悟を語り 責任のようなものを感じつつ また助けてもらう。そこに意味があったような気がする一年であった。
ありがとう、玉置君 藤沢さん!
 左の写真は 4年前チアパス芸術交流会の方たちが開催した「和の心とかたち」展のレセプションの写真ですが、この時は我が家はまだ受験生を抱えていたので 絵のみの参加となりました。もう一枚の写真はオープニングセレモニーで、バックに飾られていた絵は私の「芥子の花」と 達さんの絵でした。
この交流会のメンバーには強くメキシコ行を勧めていただき、そして委員会長の赤津さんをはじめ渡邊さんや多くのメンバーたちには最後まで支えてもらいありがたかった。
では、11月1日成田を出発します。Me ire!





2018年9月27日木曜日

藤田嗣治展をみる

夏の個展から怒涛の1か月が過ぎ、(このところ降雨続きで、稲刈り 脱穀に進めない。)小休止の今 友人から藤田嗣治の個展は見ておいたほうがいい由言われ 東京へ出かけた。
一番の理由は 私の藤田観について 日本美術界からのネガティブ感が実は摺りこまれているのではないかとその友人に言われたから。
「器用で処世術に長けた調子者の芸術家」というのは 実際どうだったのだろうか?
彼は 軍医の次男として生まれ、東京美術学校(芸大)で学んだ後、船でパリに向かった。1913年から33年ころまでパリで活動。時代は第1次大戦、そして狂乱の景気へて、大恐慌。パリのアートもキュウビズム、ダダイズム、機能主義などなどが現れ、エコールドパリ最盛期であった。一般的にこの時 藤田はおかっぱ頭で毎夜のバカ騒ぎ会に現れたという。“お調子者” というあだ名で呼ばれていたそうである。その甲斐あってかパリの美術界で有名になって行くことができたそうだ。
流れはそうだが、その間の彼の作品を見ると そんな上っ調子な評は 当たらないような気がしてきた。地道に絵を描いていた感じが、パリ初期の風景画に感じる。例えばグレーのトーンの繊細さ、臆病にも感じるくらいだ。
彼が言っていた言葉、「オリジナルであればあるほどパリの人は好んでくれる」と「当時一般に主流であった印象派的な画法をいかに捨て去るべきか」は誠に的を得ていると 私も感じたことだ。(藤田が言ってから50年も後のことだ。)未だにその脱却に時を擁している日本美術界はいったいどうなの?と感じてしまう。
 白と黒 繊細なモノトーンがなくなってしまったのは ナチの台頭でパリを抜け出すころだ。なぜか派手な色の絵になっていまい こころに余裕がない感じだ。
南米を経てから日本に戻ったが あまり魅力的な絵は残さなかった。戦争画などは色の魅力は全くないと言っていい。
展示では ベージュトーンの中にメキシコの原住人らしき人を描いたシリーズはなんか次の展開を感じさせたが。
 最後にやっぱりいいなと思ったのは、戦後再度パリに渡ろうとして、入国許可を待つ数か月間 滞在していたニューヨークで描いたのものであった。有名なカフェで手紙を書く女である。
彼は やはり旅人としての自由と所在なさが 絵の原点だったのではないか。
青春時代は バカもやるが純粋だ。モディリアーニたちとふざけあったり競争心を燃やしたり、絵で食べていくことを必死に考え 孤独に耐えそして恋愛もして・・・いい時代によく生きたと思ってしまう。

2018年8月25日土曜日

第一ラウンド、kurano展



怒涛の5日間、kuranoでの展示が終了しました。素晴らしい会場で私の絵にうまくマッチしてくれたようだ。150人を超える来場者があったことは、飯田の地では珍しいことだとおもう。さらに、高校の同期の諸氏がつぎつぎに訪れてくれ 応援の声をかけてくれたことについては、かつて不義理を重ねていた身にとりなんとも肩身の狭い思いも感じつつ、広い心のみんなに感謝を心底したい思いだ。


2018年8月2日木曜日

南信州新聞に記事


いよいよ10日ほどで個展が始まる。この酷暑を言い訳にのらりくらりとしていたが、もう動かないとやばい。
それにつけても
友人たちが応援してくれるのはうれしい。一昔前は 「一人でがんばるんだ」と息巻いていたが やっとみんなの応援がわかるようになった。周りが見えてきたのだろう。
家族や隣人そして友人たち・・・ あの人もこの人も顔が浮かぶ。
新聞記事を出してくれた友がいる。もう20年余り前から中村壁を一緒に研究したM氏、この度の経緯を細かく書いてくれた。(汚い私のアトリエさえ見に来てくれた!)
日本のしかも45年も前 油絵(=西洋美術)を学び始めた私が 日本を考え ヨーロッパを見、そして再び日本を意識して 絵を描いてきたが そことは明らかに異なる根を持つ美術に接したのは たしか二十数年まえ 一人でニューヨーク旅行をし メトロポリタン美術館で古代マヤの彫刻を見た時だった。
以来”?”をどこかに抱えて美術活動をしてきが、いよいよこの秋 そこに行って それを感じることができるはずだ。
あの底知れぬエネルギーとおそらく優しさとは異なる厳しさ、迫力。
そこに近づくための 気持ちを高める個展になるだろうか。しなくてはいけない。

2018年7月26日木曜日

KURANOの初日にJazz

8月15日にオープンする展覧会場kuranoで、ジャズコンサートが入ってくれた!まあなんと素晴らしいことだろう。  実はkuranoは1階がレストランで2階が展示スペース、そして一部が吹き抜け状になっているのだ。
偶然にも階下で キクスイ酒造の試飲会とジャズコンサートが開かれることになり不思議なジョイント?が実現となったのだ。
ニューヨークからのジャズギタリストによるコンサートのバックに私の絵も展示できそう・・・。
どんな空間を演出できるか、うれしい気持ちでいっぱいです。
試飲会場は前売り券による入場だけど、2階は私の展示場なので一応ただ!それをちょっぴり吹き抜けで楽しむことができるでしょう。この夜は9時まで開けてますので、夕涼みがてらお出かけください。


2018年7月5日木曜日

メキシコ遠征宣言展

こともあろうに こんな大それたタイトルをつけて展覧会をするのどうかと思うでしょう・・・
この11月ついに、メキシコ チアパス州のサンクリストバルで個展を開くことにいたしました。
ここまでの経緯を話しますと; 4年前の銀座ギャルリー志門さんでの個展で チアパス芸術交流会の方から翌年開催の「和の心とかたち」への参加を誘われたことから始まりました。嬉しくて二つ返事で参加を決めたのですが、作品の移送問題、家庭の事情(娘が大学受験を控えていた)、第一に金銭的不如意!で渡墨は叶いませんでした。やむなく作品のみ大きな筒巻きで 参加者の一人にもっていってもらいました。そして展覧会はかなりの反響だったとのことです。
昨年5月には、むこうで協力いただいたメキシコ作家たちの「Akio Hanafujiとチアパスの画家たち展」を横浜で開催し わたしは助成金申請や展示のお手伝いをしました。その折、メキシコ在45年の作家花藤昭雄氏に会い(見た目はメキシコ原住民作家、マジ思いました!)、強くメキシコでの個展を勧められました。チアパス交流会の方々にも なんか乗せられる形で勧められ とうとう決意をしました。
ただ・・・手元不如意の件は一向に解決していなく困っていたのですが、地元飯田の多くの友人が協力していただけると聞きまして 今度はその覚悟を皆様に見て頂かなくてはなりません!のです。
というわけで来月、DMにあるように、KURANOというスペースと 吾亦紅で個展を開催致します。何卒宜しくお願い致します。

2018年6月21日木曜日

16th 新耀展

この時期は 有楽町の交通会館で新耀展が開催される。搬入日とオープニングがことなる日のためなかなか上京出来ず よくてもどちらかの参加になってしまう。ましてやこの時期は梅雨の雨間に草刈りなど重労働もあるし、田植え後の稲も心配・・・(実は にわか農業者の私にはそんな心配さえ 以前は持ったことはなかったのだが、昨年この時期に 手を抜いて 田んぼが雑草だらけになり 秋の稲刈りに苦労しのだ。)
さて、その話はともかく、今年はある計画(メキシコ遠征展)を企んでいるので どうしても会っておかなくてはならないメキシコの方が来日している先週土曜日 東京に出かけた。翌日は新耀展搬入日、そして月曜はそのオープニング、とうとう長逗留になってしまったわけだ。
メキシコ遠征の方は いろいろな方々の協力で少しづつ形が見えてきたので、また改めて書きます。
新耀展は もう16回にもなるようで初期メンバーがお病気だったり お年を召したりで雰囲気がちょっと変わろうとしている気がする。会場の交通会館も周りのおしゃれな建物と比べ大分古くなってきて 建て替えもありうる感じだ。会の一人が「昔 よく孫を連れてこの上のレストランに来たもの。そこはレストラン自体がゆっくり回って展望を楽しめて 新幹線の通過がすぐそこで見られたのよ。もう一回もう一回と回るのを楽しんでいた孫も大きくなってもう一緒に来ることもないかしら・・」といっていた。
絵を描くことを楽しんで 人生を豊かにしていくそんな取り組みはいいものだ。
僕のように「如何に絵はあるべきかな」なんて重く引きずるのもどうかと感じる瞬間だ。
新耀展はいろいろな取り組み方をしている人の年1回の展示会、会ってお話しするのは楽しいし貴重だ。大事にしていきたい。