2014年2月19日水曜日

絵画の中の物語性(或いは抒情性)

先日書店で手に取って読み始めたのが スティーブンキングの長編小説「11/22/63」。
漠然とした素人思いなのですが アメリカの小説は展開が大胆で構造が大がかりで楽しいし なんといっても映画的だ。今度のこれは2011年の主人公が1963年のダラスに行ってジョンFケネディ暗殺を阻止しようという物語。こう書くと荒唐無計ではあるが 中々惹きつけられる展開の長編小説だった。
その中で 自分と関わり合いのある昔の人と再び会って話が展開していくという部分は人の心をほっかりとさせるものがある。ある意味では 思い出の中を行き来するような 夢の世界のような甘味さを感じさせる。
そんなことを考えていたら 70年代の現代美術はずいぶんカサカサしていたなーとつくづく思った。無理もない、あのころの主張は〈常識を疑おう!日常の中に潜む甘えを暴き出そう〉だったのだから。
アカデミックな手法できめられたように描く絵画には心が入っていかなかったが ラウシェンバーグのタイヤを張り付けたような絵には度肝を抜かれて心酔したのもだ。それなりの時代の宿命というか 果たすべき役割があったのだ。
そのおかげで民主主義も進んだし、大企業の横暴から環境問題も進展した。個人も豊かになった。(原子力問題には あいかわらず手を焼いているが・・。)
そして今 思っているのは自分の絵画に 何かしっとりとした感情を喚起するテーマが必要なんじゃあないだろうか、ということなんです。確かにせっかく勝ち得た反近代の 価値は守りながらもソフトな今に合った抒情性はきっと要るんだとおもう。60歳の私はびくびく考える。
もう若い人たちは難しいことなんか考えずに いろいろな色を楽しんだり 絵の中に漫画表現を取り込んで 物語性をだしたりしている。映像作品なんか有無を言わせぬ吸引力で目をくぎ付けにしてしまうものもある。私たちが考えていた毒なものなんか へーチャラで 消化しているようだ。70年代の主張は若者にはもう常識なのか。・・・?
どこか ダダイズムの後のシュールレアリズムの流れに似ている。
スティーブンキングの小説のように時は確実に流れているんだ。そして今はもう40年前とは(すなわち 二十歳のころ)確実に40年が過ぎているのだ。

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